福島のぶゆきアーカイブ

衆議院議員 福島のぶゆきの活動記録です

法改正で何を実現するのかという論点を

〇この与野党の新型インフル特措法改正法案の修正協議は、さまざまな論点であまりにも的外れだと思う。一体誰のため、何のためにやっているのだろうか?

 そもそも、罰則がどうのという附随する論点ばかりで、今のコロナの感染状況や将来の起こり得ることに対して、法改正で何を実現するのかという論点がない。与党は「知事会から要請されているので何でもいいから法改正という実績を」ということであり、野党は「法案修正を勝ち取った」という政局目当てのように思える。

 法改正をするということは、今の法律に基づく私権の制限では感染蔓延を防げないということによるものであろう。であれば、罰則は要らないなどという議論は成り立たない。本来法律で私権を制限するのは、必要最小限であるべきだ。だから、野党は罰則が不適切と考えるならば、そもそも法改正は不要と主張すべきである。

 罰金がいくらが適切かなどというのは、枝葉末節の議論だ。100万円か50万円かなどで、何の法的効果が変わるというのか?法律に定める罰則規定というものは、他の法律と横並びで機械的に作られるのが通例だ。この法律に限って、罰則を軽くするという議論をする意味が理解できない。

 「罰則を設けるなら補償をせよ」という野党の主張も情緒的には肯いてしまいがちだが、罰則と補償には法律上は何の相関性もない。「スピード違反で捕まって罰金を払わせるなら、補償しろ」というのがおかしいのと同じだ。国民の受けを狙って支離滅裂なことを主張しても、多くの国民が野党の主張を支持することはないだろう。補償措置のための予算案は国会の議決を経ることになるのだから、硬直的に法律で規定するのではなく、予算案の審議で立法府で議論すればいいだけの話だ。

 本来行うべきは、もっと最悪な事態を想定して、その場合に必要な緊急事態法制的な措置を講じることだ。医療崩壊が現実のものになったときに法的にどこまで強制力を持った措置ができるのか、そうした本来国会で真剣な議論がなされるべき論点については、置き去りにされたままである。しかも、こうした議論は、国対政治の水面下で行うべきものではなく、公開の委員会で国民注視の下で行われるべきである。

 昨日の午後、地元の支援者を回っていたら、「国会中継を楽しみにしているんだけど、質疑を聞いていたらむしろ菅さんが可哀そうで気分が悪くなって見ていられず、テレビを消した」という声を聞いた。この人はある労組OBで、菅首相も自民党も支持していない人だ。テイクアウトを買いに行ったお店の別の支援者は、「もう限界なので事業を畳むために弁護士に相談をしている」と言っていた。従業員を何人も雇いそれなりの規模の飲食店には、これまでの政府の支援策は事業を継続するに足るものになっていないのだ。

 現職の国会議員の皆さん、永田町での議論はあまりにも国民の感覚からはかけ離れ、本当にやってほしいこと、やるべきことをやっていないのではないか、ともっと真剣に考えてほしい。皆さんにしかできないことは、いくらでもあるのです。通常国会が始まってからのあまりにも低いレベルの議論に、胸の奥底から湧き上がってくる思いを抑えきれない。

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