福島のぶゆきアーカイブ

衆議院議員 福島のぶゆきの活動記録です

ちょいワル

〇霞ヶ関のトップエリートとされる財務官僚は、単なる秀才じゃなくて、清濁併せ呑んで泥臭く相手を説得するような「ワル」じゃないと採用されないという話。

bunshun.jp

【「青白きインテリばっかしじゃ、これからの大蔵省は務まらんぞ。変わった奴、面白い奴をどんどん採ったから、将来が本当に楽しみだ」】

 私から見るに、清濁併せ呑む「ワル」を演じようとして無理をしている人が多いように思う。私が、当時の大蔵省に官庁訪問した時、プロフィールに愛読書を書く欄があって、マルキ・ド・サドの『悪徳の栄え』と『O嬢の物語』を挙げた。面接に当たった証券局業務課の課長補佐は、「どういう本だ」と問うので、私は「いわゆるSMの話です」と答えた。すると、馬鹿にしたような顔で、「君がエコノミストとして入るなら、ケインズとかハイエクの本を挙げるだろう」と言いうので、私は「もちろん『一般理論』や『隷従への道』なんかは読んでいますが、そんな本を愛読書に掲げるような変態では、国は治められないでしょう」と言い返した。すると、「ハア」とため息をつかれ、「君みたいな人には大蔵省に来てほしくないな」と言われた。

 私は、元々権威ぶった大蔵省なんかには行きたくなかったから清々したのだが、私への面接の前に、机の上に両足を乗せて証券会社に偉そうな態度をとってワルぶっていたその課長補佐は、私が入省後数年して過剰接待で逮捕された。

 私が入省した通産省も、成績より個性で採用する役所だった。私が採用のお手伝いをしていた時は、「公務員試験のトップ10はちゃんとした人間かまず疑え」「地方公立高出身で運動部は無条件でとれ」などと言われていた。ちなみに、私は、地方公立高校出身の運動部で、公務員試験は11番だ。

 最初に面接に当たった公益事業部計画課の課長補佐から、「君にとって人生とは何か?」と聞かれたから、大蔵省の面接のこともあって「人生とはSMです」と答えたら、「ガハハッ、君は絶対に採用や」と気に入ってもらえた。最終面接で、当時の通産省は省内の人事抗争がマスコミに大きく報道されていたので、牧野伸顕伯爵の玄孫の牧野官房長から「通産省の人事抗争について、どう思うか?」と聞かれ、「『官僚たちの夏』にもあるように、政策をめぐる人事抗争は通産省の活力の証です。私も入省したら人事抗争に全力を挙げます」と答えた。部屋から退出しドアを閉めると、部屋の中から「ワッハッハ」と豪快な笑い声と、「いいの採ったな」という声が聞こえてきた。ちなみに、最初の面接の課長補佐は、その後中小企業庁長官となり、ある問題で週刊誌を賑わした。

 私のいた頃は、財務、経産といった官邸に影響力がある省庁は、頭でっかちのエリートではなく、幅のある、人間的な魅力のある人材を取ろうとしていた。そうじゃないと、政治家と渡り合ったり、若い頃から大企業の社長たちに生意気に口はきけない。だから、最近話題の「ブラック霞ヶ関」などは無縁のものだと思っていた。「政治に振り回されるのは恥。政治家を裏で動かすのが仕事」と思われていたからだ。

 しかし、橋本行革や政治主導・官邸主導の流れの中で、霞ヶ関の空気も大きく変わったのだろう。私は、自分で作った政策を実現するために、自ら野党の政治家に質問を振りつけたり、自民党の国会対策の手伝いをしたり、新聞に半分ガセの情報をリークして書かせたりという、まさに役人の矩を超えた「ワル」の仕事ばかりしてきた。しかし、「こんな仕事は、本来役人じゃなくて政治家がやるべきことだ。何もしない政治の陰で役人が政治家の仕事をする不健全な統治機構を自ら変えよう」という思いで、政治の世界に飛び込んだ。

 「頭のいいワル」の出番は、霞ヶ関にではなく、本来政治の世界にあるべきだ。しかし、そうした人材が政治の世界に出るのは、筆舌に尽くしがたい困難がある。私も、これまで政治の世界で17年間大変苦労してきた。最近は、受験戦争に勝った延長で政治家になること自体が目的の、頭と要領がいいだけの官僚出身の政治家が多くなったようにも思える。しかし、「頭のいいワル」が、身分の保証された霞ヶ関で政治家の代わりに政治の仕事をして不祥事を起こすより、常に選挙で有権者の審判に晒されながらその能力を国のために発揮できるような統治システムが必要なのではないだろうか。

 私は、そうした存在になれるよう、有権者の皆さまの審判を受けたいと思う。