福島のぶゆきアーカイブ

これまでにWebで公開したものの記録です

渋沢栄一と選挙

〇渋沢栄一が、私の高祖父(祖母の祖父)に宛てた手紙に関する記事。

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【書簡は、1915(大正4)年の衆院選で、大隈首相の養子・信常が前橋選挙区から立候補するのに際して、群馬財界の元老と称された江原芳平氏に宛てたものだ。江原氏は第三十九国立銀行(現・群馬銀行)頭取、初代前橋商工会議所会頭、上毛倉庫社長を務めていた】

 『渋沢栄一日記』によると、遡ること13年前の明治35年1月16日。渋沢の従弟の渋沢喜作と高祖父の江原芳平は渋沢栄一を訪れ、「三十九銀行ノコトヲ依頼セラル・・・種々評議ノ末拒絶スヘキコトニ決ス」としている。盟友の群馬1区の宮崎タケシさんのご先祖など前橋藩士らが設立した第三十九国立銀行(群馬銀行の源流)を、江原らが民間の資本で強化しようとしていることへの協力を渋沢栄一に求めたのだが、すげなく断られている。

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 私の高祖父は、県議会議員のち貴族院議員。その子の曽祖父三郎は県議会議員。養子桂三郎は前橋市長。その周りにも元衆議院副議長など北関東の政治家多数。私の祖母は、一族での選挙選挙の日々を若い頃に過ごした。そして、みるみるうちに没落していく様も体験した。

 私が最初に選挙に出る時祖母に報告に行くと、「やっと選挙から離れられたと思っていたのにねえ。この齢になってまた関わるなんて。しかも、よりによって親戚の赤城と戦うなんて」とものすごく嫌な顔をされた。その後間もなく亡くなった祖母と、赤城家とどう繋がっているかなど聞くことはできなかったが、ご先祖様の霊が私を政治に駆り立てていると思っている。

 政党や政治と一線を画そうとしていた渋沢栄一も、つい縁のある人だと関わってしまうように、政治は人を惹き付ける魔物だ。しかし、そうして多くの人が惹き付けられる磁場から、時代は動くのだ。