〇昨日も一日街宣三昧。年に1度しか行けないような山奥の数軒だけの集落にも、声を届けてまいりました。谷あいの集落はことのほか寒く、崖からはつららです。
昨日も「自分はスターか」と勘違いするほど多くの方に出てきていただき、温かいお声掛けをいただきました。そのうちの一人は、お父様に熱心に応援いただいた方で、前回の選挙の時は90を超えるお歳で夜中まで軽トラックで訪問活動をしていただきました。残念ながら私の落選中に亡くなってしまい、目に涙を浮かべて「親父に見せたかった」とおっしゃってくださいました。机の奥から、その方にいただいたお手紙を出してきて、読み返しました。
私の議員会館の執務室の壁には、日清食品創業者の安藤百福の言葉が貼ってあります。
【私は落選した代議士が好きだ。選挙区に腰を落ち着けて、市民の声を聞く。人の心の痛みが分かるようになる。今度、当選して出てきたときには、人間がひとまわり大きくなっているのが分かる。いつも当選している代議士は、天下国家を理屈だけで論じている。国民の本当の痛みを、ついに知ることはない。失敗するとすぐに仕事を投げ出してしまうのは、泥棒に追い銭をやるのと同じだ】
街宣車に乗っている私に声をかけるために出てくれる方も、こういう思いなのかもしれません。
最近、「これまでの関係を白紙にする」とか、「発言は一方的に反故にするもので受け入れられない」とか、「共産党とは相いれない」など、野党関係者や団体関係者から発言が乱れ飛んでいます。こんな泥仕合を見ていると、普通の国民はそのような人たちには「付き合いきれない」と眉をひそめ、離れていくものだと思います。選挙は、政治家にとって人間修養の場。党とか支持団体の前に、一人の人間として政治語りうる人物なのかどうか、自らに問わなければなりません。鍛えてくれるのは、いつも地元の皆さんです。