〇白井聡さんの分析には唸らせるようなものが多いが、これは全く的外れだ。選挙というものがどのようなものなのか、根本的に分かっていない、典型的な頭でっかちの論だ。でも、内心「そのとおり」と、この文章に留飲を下げている野党関係者もいるのではないか。
【日本の多くの有権者は各政党がどんな政策を掲げているのかロクに見ていない】
これは、そのとおりである。
【ただ何となく自民党に入れている有権者がかなり多くいる、あるいはそうした有権者が標準的な日本の有権者ではないのか・・・はっきりしているのは、有権者の大半がこのように思考停止しているのであれば、そんなところで選挙などやっても無意味である】
これも、前段の「何となく自民党に入れている有権者がかなり多い」のも一見事実である。しかし、後半の論は飛躍しすぎの暴論だ。
私の選挙区は1996年に小選挙区制度が導入されてから2009年に私が初当選するまで、一度も自民党以外の候補者が小選挙区で当選したことも比例復活したこともなかった。人口当たりの自民党員数は、全国トップクラス。野党候補者は、自民党候補者の半分くらいの票しかとれない「鉄板選挙区」であった。
しかし、有権者は「何となく自民党に入れている」わけではない。確かに、政策を吟味して候補者を選ぶような投票行動はとらない。私も、2回連続で比例復活も出来ず落選した時は、「こんなところで選挙をやっても無意味」と思いそうになった。そこで開き直った私は、1軒1軒毎日200軒くらいのお宅を軒並み訪問することにした。
私のそうした姿を、集落の中の人はそっと物陰から見ていた。それまでは、ピンポンと鳴らしても出てこなかったり、時には塩を撒かれたり、石を投げられたりしたこともあったが、ようやく私の話を聞いてくれるようになった。いつしか、しっかりとものを考えていてそれまで自民党を支持してきた人ほど、私のことを熱心に支援してくれるようになった。昨年の衆院選では、NHKの出口調査によると私の得票のうち一番多いのは、自民党支持層からである。決して「何となく」入れているわけではないのだ。
有権者は、政治家の人間そのものを見ている。理屈ばかりの特定のイデオロギーの代弁者だったり、美辞麗句で並べた政策の能書きを垂れるだけだったり、特定の組織の請負いをやったりして、政治家になることが目的のように思える人物を受け容れようとはしない。「何となく自民党」以前の問題として、そうした候補者は有権者に人間として受け容れられないのだ。非自民の政党は、そのような候補者ばかりを立ててこなかったか?私が「党より人物」と掲げる所以である。
衆議院の選挙区割りが変わることとなり、新しく選挙区に加わることになった地域を街宣車で回ると、手を振ったり出て来てくれる人は圧倒的に少ない。それどころか、多くの人が私の街宣車を見てクルリと背を向けてしまう。その地域には「何となく自民党」の人ばかりで野党の存在がない地域だから、自民党のポスターすらほとんど立っていない。20年前自分が最初に選挙区を回ったときは、そうだった。
でも、一人一人の有権者と人間として向き合っていれば、これまでの私の選挙区と同じように政治土壌は変えられると確信している。「選挙などやっても無意味である」などと嘆くヒマがあれば、人の波の中に入って一人でも多くの人と接したほうがいい。そういう変態たちが日本全国で行動した時に、日本の政治は変わるのだ。少なくとも私たちの会派「有志の会」に5人、そうした人物がいる。