福島のぶゆきアーカイブ

衆議院議員 福島のぶゆきの活動記録です

安倍元首相の国葬について

〇安倍元首相の国葬について、世論は割れている。私が地元を歩いていても、強烈に反対する方と反対する人を強烈に批判する方の両方がいて、まさに世論が分断されていると感じる。この件であまりコメントしようとは思っていなかったのだが、法的な側面から私なりの整理をしてみたい。

www.sankei.com

 岸田首相は、内閣法制局が「政府単独による国の儀式としてなら閣議決定を根拠に国葬も可能だ」と法的に整理したため、国葬を決めたということであるが、果たして法的に妥当なのか?

 内閣法制局が根拠としているのは、内閣府設置法第4条第3項第33号に「国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること」と規定されている条文である。しかし、この条文は内閣府の所掌事務を列挙した条文にすぎない。この規定の後に「他省の所掌に属するものを除く」とあることからもわかるように、国の儀式として行うのであれば内閣府の所掌ですよと単に役割分担を定めているのに過ぎない。元首相の葬儀を国葬として行うこと自体の根拠にはならないのだ。

 内閣法制局は「閣議決定を根拠に」とも言っているが、果たして妥当であろうか。確かに天皇陛下の即位の礼などは閣議決定に基づき国の儀式として行っているようであるが、天皇の即位という行為自体が法律と同等の皇室典範に定められている行為である。「内閣総理大臣経験者の死」という事実は、もちろんなんらかの法律に定められているものではない。

 それに加えて、閣議決定とは単に内閣の決定である。「政府=お国」と勘違いしている人が多いが、政府は国ではない。憲法第65条で「行政権は内閣に属する」と規定されているように、国のさまざまな権能のうち、行政権を預かっているだけだ。内閣が行う仕事は、「法律を誠実に執行」することであり、「憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること」などであることも、憲法第73条で定められている。閣議決定とは政令と同等の行為であるから、憲法や法律にそぐわない決定などはできないのだ。

 したがって、ここで問題となるのは「国葬」という以上、時の「内閣=政府」の範疇を超えた「国」としての儀式を行う意義は何なのか、ということであろう。これまで巷間言われている安倍元首相に対する評価は、行政府の長としての功績である。国の独立を守ったり、国の根幹となる規範を形成したり(例えば新しい憲法の制定など)ということであれば、行政府の長を超えた国家的な功績となるが、それを元首相は目指していたかもしれないが業績としてのものは、ない。

 「弔問外交を行えるから」というのも、理由にならない。これまでの歴代首相経験者の場合のように、内閣・自民党合同葬でも日本国内の形式にこだわらず外国の賓客はいらしてくださるだろう。長きにわたる外交の場で活躍した安倍元首相だからこそ、これまでにない数とレベルの外国要人が来ることは、何よりも個人の功績を示すことにもなり、それは国葬かどうかとは関係ない。

 結局のところ、ここまで国葬をめぐって世論が対極に分断されるのは、「国とは何か」ということを国民も首相もよくわかっていないことに起因するのではないか。「政府=国」と勘違いしている国民は、意外と多い。日本人特有の「お上意識」による宿痾かもしれない。そして、政治家自身も「国とは何か」ということに向き合って自らに与えられた役割を果たしてきたのかどうか。

 私は、国葬になってもならなくても、個人を悼む気持ちからこれには必ず参列するが、私たちはこの国葬についての議論の中にもっと本質的な問題を見出さなければならない。