〇今日は常陸大宮市の旧御前山村を挨拶回り。新しい衆議院の選挙区割りでは、私の茨城1区から外れることになりますので、この20年間ご支援をいただいたお礼回りです。
最初の選挙の時の名刺を大切に持っていてくれている方がいらっしゃったり、いつもは豪快な肝っ玉お母さんに涙目で「寂しくなるね」とおっしゃっていただいたり、私にとって辛い一日となりました。そして何より、この20年間で皆さん齢を重ね、人工透析に通っていたり、旦那様を亡くしていたり、息子さん世代に代替わりしていたりと、(私の風貌もだいぶ変わりましたが)政治活動を積み重ねてきた時の流れを改めて感じました。
かつては那珂川の水運で栄え、松平氏が治める陣屋があり、明治維新後伯爵となった香川敬三を生んだ郷校もあった風光明媚なこの地は、私が最初に選挙に出た時は3つの小学校と1つの中学校がありました。その後、合併によって常陸大宮市となり、中学校は廃校となりたった1つの小学校があるだけになってしまいました。美しかった棚田には太陽光パネルが敷きつめられ、山は荒れ、行き交う車はデイサービスの送迎車ばかりになってしまいました。
私の力不足もあるのですが、日本全国でこのような中山間地域が広がってしまって、今日も多くの皆さんからも「これからの日本はどうなってしまうんだろう」と憂いの声をお聞きしました。皆さんからいただいた支援を決して忘れることなく、選挙区が変わっても皆さんの故郷を思う気持ちを大事にして、「すべてをこの故郷(くに)のために」働いていかなければならない、と胸に誓いました。