福島のぶゆきアーカイブ

衆議院議員 福島のぶゆきの活動記録です

国土交通大臣の人事

〇とても違和感のある発言だ。議院内閣制とは何か、政治家が大臣になることの意味は何か、内閣とは何か、権力を握るとはどういうことなのか、根本的なことを勘違いしているのではないか。

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 2001年に中央省庁再編によって国土交通省が誕生してこの22年間、民主党政権を除く11人の大臣のうち公明党の大臣が6人。期間にして14年近くが公明党の大臣だ。国土交通省というと巨大利権官庁と言われるが、歴代の公明党の国土交通大臣は概して利権とは一線を画し、いずれも真面目で優秀な方であった。与党政治家による利権漁りの省にしなかったことには、貢献したと言えるのではないか。

 一方、中央省庁再編で建設省・運輸省・国土庁などを統合した目的は、単なる事業官庁や業所管官庁から総合的な国土政策を担う政策官庁へと脱皮することだった。従来、日本のインフラ整備には、政治力を駆使した個別の地域利益を実現するものが多く、国際競争力や技術革新の観点から国土のインフラをどう整備していくのかという視点が欠けていた。

 国土交通省が誕生して四半世紀になろうとして、私自身国土交通委員会で同省と議論していて、中央省庁再編が意図した省の姿とはかけ離れてしまっていると実感する。かつて水戸一高の先輩の下河辺淳氏が国土庁において手がけた総合的な国土計画は、単なるインフラ整備計画をホチキス止めしただけの理念なき官僚の作文に堕してしまった。たとえば国鉄分割民営化以降の鉄道事業のあり方をどうするのか、自動車そのものが近い将来根本的に変わる中で高速道路を始めとする道路整備をどうしていくのか、といった本質的な政策論議は手つかずのままだ。

 こうした骨太な政策は、民主的正当性を得た政治の意志がなければ作ることはできない。長年与党第一党が国土交通大臣の座にいないため、骨太な国土政策が四半世紀近くも出なくなってしまっているのではないか。『日本列島改造論』を著した田中角栄首相をはじめ、戦後日本の発展は歴代の大物政治家たちが将来の国土の姿に夢を投影して作られてきた。それは「土建国家」と揶揄されるような、大きな翳も生んできたのではあるが。

 そうした政治の荒々しい意志なき国土交通省は、最近の天下り問題に見られるように「官僚天国」となり、目先の予算獲得と事業の執行に汲々としているように思える。そして、多くの優秀で立派な公明党の歴代大臣は、その官僚組織の上にちょこんと座って無難に職を務めているだけのように見える。

 内閣を作るのは、直前の総選挙で民意を受けた与党第一党である。最近の歴代自民党政権が、将来の国土をどのようにしていくのかという意志が弱いからこそ、このような人事になっていたのかもしれない。しかし、だからと言って公明党が、たいした政策目的もないまま、連立を組んでやっている見返りに当たり前のようにポストを要求するのには、違和感を感じざるを得ない。大臣のポストを何と心得ているのであろうか。

 私は機会があったら、時の総理大臣に対して、日本の将来の国土をどのようにしようと思っていて、そのために国土交通大臣の人事をどうしようとしているのか、直接議論してみたい。