福島のぶゆきアーカイブ

衆議院議員 福島のぶゆきの活動記録です

自公間での大臣ポストをめぐる争いは見るに堪えない政治の姿だ

〇自公政権の腐りきった政治。

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【国交相との面会機会を誘い水に、業界団体関係者に公明候補者への支援を事実上求める手法は、2012年の政権奪還以降、公明が国交相ポストを一貫して担う中で確立してきたノウハウだ。団体側も国交相と面識を持つ好機と見て総じて好意的に参加しており、過去にはお礼代わりに選挙時の電話作戦に活用できる関係者名簿を提供した団体もあったという】

【「この道路改修、治水事業に公明が汗をかいた」と訴えれば幅広い有権者に響きやすい。その手応えは、かつて公明が閣僚を出した厚生労働省や環境省関連事業の比ではないという】

 国土交通省に入る政治家の役割は、個別事業の個所付けに影響力を及ぼすことではない。むしろ国の将来を見据えた大きな国土政策を掲げ、それに基づく総合的な調整(事業を切ったり貼ったり)することが、役割だ。既得権益が絡む既存の事業を切ったり、制度を大胆に変えることを決断すれば、官僚たちはその政治家のリーダーシップの下に集まってくる。

 一方、個別事業の個所付けは、役人の仕事。そこに政治家が口を挟むと、結局役人の方が立場が上になり、官僚主導の行政となる。30年前までの自民党政権の姿だ。私は、国土交通省の天下り問題や業界との不健全な癒着の問題が相次いで出ているのは、公明党出身の大臣が長く続いていることも理由の一つだと考える。国土交通委員会に所属して、ずっと昔に見たあまりの官僚主導の行政が国土交通省に復活しているのを見て、驚いた。

 それでもかつての自民党政権では、建設大臣や運輸大臣が自らの地元の事業に優先的に予算を付けるなどという職権濫用はやってこなかったし、見える形で大臣の権限と集票を結びつけるような下品なこともしていなかった。今、日本が下り坂になっている時に未来への投資としての総合的なインフラ整備などの国土政策が重要な中、公明党はいったい大臣ポストをなんだと認識しているのだろうか。公明党の国土交通大臣に期待されていたのは、このような古色蒼然とした利権政治からの訣別ではなかったのか。

【自民からは「いいかげん返してほしい」(閣僚経験者)との声が漏れるが、公明は国交相こそ「我が党にふさわしいポストだ」(北側一雄副代表)と応じない構えだ】 

 自公間での国土交通大臣ポストをめぐる争いには、「国をどうしよう」とか、「国民のため」とか、「故郷のため」という純粋な政治への思いが見受けられない。見るに堪えない政治の姿だ。このような汚れ切った驕り高ぶった政治を転換できるのは、選挙での国民の皆さんの意思表明だけだ。