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この問題、国会業務が霞ヶ関のブラック化を招いているという論調が多いが、本質はそこではない。私はこの通常国会、このブログでもいつも報告しているように、質疑の2日前には質問内容を通告し、前日に役所の担当課に直接質問の意図を丁寧に伝えるようにしていた。少数会派ゆえ質疑時間は短く、その中で中身の濃い議論をするためだ。でも、おそらく役所は前日夜遅くまで答弁書の作成を行っていたことだろう。
それは、私は質問通告に従って行った質疑への答弁に対して更問いをするからだ。どのような答弁が返ってくるかはわからないから、それに応じて複数の更問いを用意している。だいたいが役所が書いた答弁に対する大臣などの政治家としての認識を問うものだ。真っ当な答弁の出来る大臣もいるが、何も答えられず見当違いの答弁書を読み上げるだけの副大臣などもいる。その模様は、YouTubeでご覧になっている方はわかるはずだ。役所は、大臣などに変な答弁をされたくないから、前日遅くまでかかって想定問答集を緻密に作り上げなければならないのだ。
私は、官僚がそこまで国会に責任を持つ必要はないと思う。事実関係や法律の解釈を問う質問などには、官僚は責任を持って正確な答弁をすべきであるが、国会での大臣や副大臣の政治家としての答弁に官僚が責任を負う必要はない。本来、国会は国会議員同士による議論の場だからだ。もし、質疑者が重箱の隅を突っつくような下らない質疑をするなら、大臣たちはまともに答える必要はない。政治家同士がどうやりとりをするのか、それを評価するのは国民だ。
国会の答弁で政府に失点を与えた政治家は、それがその政治家としての評価につながるべきである。政務官、副大臣と国会答弁の場数を踏むことでその政治家に対する評価が定まり、能力的にふさわしい人物だけが大臣になるべきである。大臣や副大臣などが政府の「お客さん」になって、官僚が書いた原稿を読み上げるだけの形骸化した国会こそが、日本の政治の機能不全を象徴しているのだ。
そして官僚たちは、国会業務は政治家たちに多くを任せ、データや事実に基づく政策立案に専念したほうがよい。転職が当たり前の時代になって、大学を出て役所に入っても専門性が身につく機会が少ないから、官僚の志望者が激減しているのである。
どんな能力であっても当選期数と共に派閥の推薦で政府のしかるべきポストに就き、無能な政治家を官僚がお守りをするという自民党の政治システムを改めない限り、この国の統治機構は劣化を極め、転落の道を進むことであろう。