毎日農村を歩いていれば、どのような農地が耕作放棄地となっているかわかる。耕作放棄地は、形状がいびつだったり、日射が悪かったり、傾斜地であったりという条件不利地で、持ち主が高齢化していたり、国民年金生活で農機具の更新する資金がなくて耕作放棄されているところが多い。条件が有利な耕作地は、放棄するまでもなく借り手はすぐに見つかる。耕作放棄地を借りる人がいないのは、貸し手の「貸し渋り」ではなく、借り手がコストに見合う条件でないと判断しているからだ。都市部の、転用を期待して栗の木を植えて宅地並み課税を逃れている農地とは事情が違うのだ。
借り手が見つからない所得の極めて低いお年寄りや小農家の課税を強化したとしても、農村の弱い者をいじめるだけで何の効果もない。土地の集積を目指すのであれば、このような北風政策ではなく、多少条件が不利な農地を借りて大規模化しても所得が増えるような太陽政策をとるほうが効果的だ。しかし、肝心の米価自体が大規模農家であっても成り立たないくらい下がっている北風政策をとっているのだから、大規模農家に条件不利な耕作放棄地を借りてでも農地を拡大する意欲は全く沸かないだろう。車社会の農村部で史上最高水準のガソリン代を払い、農作業用の軽トラックの税金は激増し、おまけに固定資産税まで増税されたら、多くの自民党を支持してきた農村の人たちはお上を恨むしかあるまい。
これこそ現場を知らない霞が関の秀才君が作る、一見もっともで逆効果な政策の典型例であり、こういう政策立案を正すために日頃より地元を歩いているはずの政治家は本来はたらかなくてはならない。が、私も含めて政治家たちは、小選挙区制度の下では冠婚葬祭集票活動ばかりをせざるをえず、政策立案をこういう官僚に丸投げしてしまっているから、この国はいつまでたっても本質的な農政改革も、低成長からの脱却もできないのである。いつまでもこんな国でいいのでしょうか。
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