福島のぶゆきアーカイブ

衆議院議員 福島のぶゆきの活動記録です

平成8年、時の橋本政権は通産省のエースたちを集め特命チームを作った

〇最近、官邸内の菅官房長官と今井補佐官との確執の記事がさまざまなメディアに出ている。

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 GW前の読み物として、私の経験したエピソードを以下に記す。

 平成8年1月に橋本政権が誕生した。橋本首相は、同年9月に行われた初めて小選挙区制度が導入された衆議院選挙で、行政改革などを掲げて勝利をおさめ、第二次橋本内閣が誕生した。

 この選挙の自民党の公約の多くは、当時の通産省の官僚たちが策定していた。橋本総理は、通産大臣から総理に駆け上ったこともあって、今の安倍内閣と同じように通産省(現経産省)が政策の多くを支えていた。

 その橋本政権の公約の実現をバックアップするための特命チームが通産省の大臣官房に設置され、省内の各世代の選りすぐりのエースたちが集められた。

 チームリーダーは梶山静六通産大臣秘書官を務めた同氏の腹心の今井康夫審議官(省内では「大今井」と呼ばれた)。その下に萩原企画官(元衆議院議員・現美作市長)、山田宗範企画官、澤昭裕企画官(故人)、安井正也企画官(前原子力規制庁長官)そして今井尚哉企画官(現総理補佐官、「小今井」と呼ばれた)。その下には、柳瀬唯夫課長補佐(元総理秘書官、加計学園問題で名前が出る)などもいた。後藤祐一衆議院議員や私は、係長としてその末席に名を連ねていた。

 第二次橋本政権の官房長官は梶山静六先生であったから、梶山=大今井の太いパイプで政権をめぐる様々な特命事項の発注が特命チームには下りてきた。(この時のエピソードは本を1、2冊書けるくらいあるので、それはまた別の機会に)

 そんな中、ある時梶山先生から大今井のところにこんな発注が来た。「自分の腹心の菅という者が平成8年の総選挙で横浜市議から初当選した。国政のことは何もわからないから、通産省で勉強会を開いて指導してやってくれ」と。

 それを受けた大今井は、部下の企画官に勉強会を作るように命じるのだが、地方議員出身の1年生議員のお守りなど誰もやりたがらず、私が事務局になって当時の30代の課長補佐クラスの勉強会を作ったのだった。なお、その時の課長補佐の何人かは、安倍政権になって内閣府の幹部に出向して菅官房長官を支えている。

 こうしたことを見てきた小今井こと今井尚哉補佐官は、たとえ菅氏が官房長官であったとしても、はじめからそんなに上の存在とは思っていないのではないか。初当選から手取り足取り教育してきた菅氏や甘利氏は、経産省にとってはそもそも手駒のように思われている。国政のことが右も左もわからない1年生議員の菅氏のことを見てきた者として、「自分の方が政権を中心で支えてきた経験がある」と自負しているのではないか。

 私も霞が関にずっといれば、そう思っていたかもしれない。しかし、官僚たちには、国民に支えられて権力を得ているという実感を肌で感じることもなければ、党内の勢力争いや野党との調整を乗り越えて物事を実現していく職人芸などを知ることはない。

 安倍総理がよく答弁しているように、政権の成果というのは何か政策を実現した結果でしか評価されない。どんなにいい政策を頭脳明晰な人物が作ったとしても(そのような政策は今井補佐官や経済産業省の中から出てきているようには思わないが)、それが国民に受け入れられ、さまざまな勢力をバックとする政治勢力の合意を受けなければ、実現することはない。

 安倍総理は、「今井ちゃんはなんて頭がいいんだ。本人の頭の中をみてみたい」と絶賛しているようであるが、政権はそれだけでは絶対に回らない。今井補佐官は、国会対策や国民との対話などの面倒なことは総理の権力さえあれば、なんてことないと思っているかもしらないが、実際に権力を動かすということは、そんな甘いものではない。

 アベノマスクや国民一人当たり10万円の給付をめぐる迷走が、今井補佐官を中心とする政策決定の結果なされたのだとするなら、今後菅氏を外した今井補佐官中心の安倍政権がどのような末路を迎えるのか、私には大体想像はつくが、見守ってまいりたい。