福島のぶゆきアーカイブ

衆議院議員 福島のぶゆきの活動記録です

古川貞二郎元内閣官房副長官

〇古川貞二郎元内閣官房副長官の葬儀に参列してきた。安倍元首相の家族葬と同じ増上寺。8年7か月もの長い期間官邸で内閣官房副長官を務めてこられたが、参列者に政治家は少なく、官界関係者が多数を占めているように見えた。

 私は、小泉政権の内閣官房時代、その謦咳に接しお世話になった。吏道の鑑とも言うべき方で、官僚としての本分を弁えながら、決して政治家に対して卑屈になることはなかった。むしろ、温厚な笑顔を湛えて雑多な調整をしながら、自ずと政治の側が古川さんが考えているような方向に動いていった。

 小泉政権が国民人気の高い中始まったとき、官邸内は財務省の勢力が要所を占めていた。経済産業省がそこに食い込むべく若手を官邸に押し込もうとし、私に白羽の矢が立った時、古川氏はそれに水面下で協力してくれた。構造改革特区制度を進める時には、内閣官房に担当部署を作り、担当大臣を実務能力が高く小泉政権を実質仕切っていた福田官房長官にすべきことを提言したところ、受け入れてくれた。

 しかし、内閣改造で多忙の福田担当大臣が外れ、鴻池大臣が就任することになることを知ったとき、その瞬間はとてもがっかりしたものだった。しかし、後になって、構造改革特区という各省それぞれの既得権益に切り込む制度を実現するために、各業界の組織内議員がゾロリと揃った参議院を抑えられる参議院国対族の鴻池大臣を充てることを古川氏が提案したことを、後に知った。古川氏の思惑どおり、参議院のボスの青木幹雄先生、早稲田の後輩の鴻池大臣、参議院議員の上野官房副長官の3人が業界や族議員を抑え、小泉政権の過激に見える政策の実行を支えた。

 古川氏は、特区の調整の様子を常々気にかけてくださり、中城構造改革特区推進室長からうまくいっているとの報告を受けると、またいつもどおりニコニコと頷いてくれた。日本医師会が大反対していた医療関係の特区では、厚労族の安倍官房副長官や根本特区担当副大臣がスパイのようになって邪魔をする中で、古川氏は厚生省出身にも関わらずいつも私たちの側に立ってくださり、各省協議で了解を得ていないことを、総理の面前で坂口厚労大臣が認めるという離れ業の根回しを指示してくれた。

 ご夫人が書かれた葬儀の礼状には、古川氏は「難しい問題でも一生懸命諦めずにやっていると、あれだけ頑張っているのだから、と言って周りの方々が助けてくれる。そして何か見えない力がいつも後押ししてくれた」「自分の人生を今の状態で完結したい。だから、今、死んだとしても悔いはない」と時々もらしていたという。公務に携わるすべての者が、拳拳服膺すべき言葉だろう。生前のご指導に感謝し、心からご冥福をお祈りいたします。