福島のぶゆきアーカイブ

これまでにWebで公開したものの記録です

李登輝元総統が逝去

〇台湾の李登輝元総統が逝去された。私の最も尊敬する政治家であり、目指している政治家であった。

 最初にお目にかかったのは、確か最初の選挙に落選した翌年の2004年。李登輝先生の盟友の久保田信之学習院女子大教授が率いるアジア太平洋交流学会の理事として、李登輝先生の創設したシンクタンク群策会との共同シンポジウムに出席したときだった。

 晩餐会では隣の席に座って、2時間以上もお話しさせていただく機会をいただいた。李登輝先生の足元にも及ばないが、私も若い頃に哲学書を読み漁り、大学で農業経済学を学んだという共通点があって、東洋と西洋の「個」の違いなどの哲学論議に花が咲いた。締めの挨拶では、「日本人は、こういう人を国会に送らなきゃダメだよ」とわざわざおっしゃっていただき、恐縮した。

 その後は、私が東京財団のディレクターをやっていた時、台湾の先住民と沖縄に関するシンポジウムを行ったり、2009年に衆議院に初当選した時には、そのご報告にご自宅までお伺いしたりした。台湾にお伺いするたびに何度も謦咳に接させていただいた。蔡英文現総統や謝長廷駐日代表から、日本語世代の闘士たち、若手政治家など多くの台湾のリーダーたちもご紹介いただいた。

 李登輝先生は、親日家であることばかりが日本で取り上げられるが、キリスト教精神に基づく真のリベラリストであった。ある時、「台湾は親日で中国とは違う」と盛んにおっしゃる60代くらいの方が、シンポジウムで群策会の学生から日本の戦争責任について厳しく問い詰められた。するとその方は、「私は台湾の方が日本の戦争責任についてそのように考えていたとは知りませんでいた」と土下座した。私は、それに対して淡々と法的な問題などで反論をするのを李登輝先生はニコニコとお聞きになって、「ほら、皆さん、戦後の日本人はダメになったけど、長い歴史に培われた日本精神からは必ずちゃんとした若い人が出てくるのです。台湾では、もう日本に学ぶことはないという風潮がありますが、決してそうではないんですよ」とおっしゃった。

 戦前の旧制高校に学び、亡くなるまで教養を深め続けられた李登輝先生は、とりわけ戦後になって日本人が自我を見失い、自我がないことすら自覚していないことをしばしば嘆いておられた。先生の著書に書いていただいた、「我是不是的我」(私であって私ではない自分)という言葉は、まさに西洋的自我とは異なる、京都学派に学び、「台湾人に生まれた悲哀」という先生自身の人生から導かれた自我の概念だった。

 私にとっても、長い歴史と文化を持つ東洋の小さな島国が、西洋近代文明の爛熟時代にどのような歴史を紡いでいくのか、というのが人生を懸けた政治の大テーマでもある。そのあまりにも偉大な存在に近づくことはなかなかかなわないが、少しでも近づけるように努力したい。李登輝先生の謦咳に接することができた幸せにに感謝し、心からご冥福をお祈りします。