〇75回目の敗戦記念日。夜明けとともに、地元の護国神社にお参り。今年3月のペリリュー島の天皇皇后両陛下訪問記念碑の建立もご報告。10代で政治に目覚めた頃から、毎年この日は特別なものと思ってきた。
私の近しい親族には戦争犠牲者がほとんどいないのを、いつも後ろめたく思ってきた。父方の祖父は、農林省の官僚であったため徴兵されず。母方の祖父は軍需産業の製鉄会社にいたため、敗戦間際に満州に派遣されただけだった。それでも昭和20年の戦地からの年賀状には、万一の場合の覚悟と決意が書かれていた。
ただ、祖母の弟は、慶應義塾から学徒出陣で南方に派遣され、軍隊内でリンチに遭って重傷を負い、帰国後まもなく亡くなった。父が住んでいた神楽坂の屋敷も、空襲で書画骨董や家財と共に灰燼に帰し、すべての財産を失って落胆した曽祖父は間もなく病死した。
戦争は、さまざまな筆舌に尽くしがたい理不尽を産む。戦争について戦後にどのように評価しようが、戦争によってしか解決できない状況に国を陥らせることは、政治の最大の失敗である。
先の大戦で失ったものを、戦争という手段ではなく取り返すことは、私にとっての政治の大きな目標の一つだ。