福島のぶゆきアーカイブ

これまでにWebで公開したものの記録です

茨城県立歴史館「徳川斉昭と弘道館・偕楽園」展

○知事が「不要不急の外出自粛」というよくわからない要請を出す中で、茨城県立歴史館で開催されている「徳川斉昭と弘道館・偕楽園」展に。1/31までの開催で、私にとっては必要と思ったもので。来館者はほとんどおらず、密ではありません。

 展示数は少ないですが、斉昭公のゆかりの品と弘道館・偕楽園の成り立ちを示す骨太な資料が展示されています。1点1点から醸し出される、幕末の国難の時期に立ち向かった斉昭公の迫力に圧倒されました。

 その中には、さりげなく疫病関係の資料も並べられています。「蕃痧病手当幷治方」は、開国後の安政5年にアメリカ船員から伝染したコレラの大流行を防ぐために斉昭公が書いた治療マニュアルで、印刷されて領内だけでなく全国に流布したといいます。

 疱瘡が流行すると通達を出して、「種痘(予防接種)を受けたければ、毎月1,15日朝7時半に弘道館に来るか、毎月10,20,25日に南町の本間益謙又は泉町三丁目の本間玄調のところに行くか、遠い場合には医師を派遣する。いずれの場合も費用は藩が負担して無料」と至れり尽くせりです。

 弘道館には全国の藩校には稀だった大規模な医学部があって、そこに掲げられていた賛天堂記には、
「外国と通商するようになると、奇を好む日本人の弊害が助長され、何でも外国品がよくなり、薬でも日本産のものを捨てて、かえりみない。外国の薬は高価なので、豊かな人でなければ手に入らない。だがそうした人だけが長命で、貧しい人が短命だ、ということは聞いたことがない。結局外国品を買う金があるなら、金を外国に渡すよりは、その金を使って良薬を国内で製造したほうがよい」
と書かれているということです。

 もしかしたら日本は、明治維新そして大東亜戦争後の復興を経ても、斉昭公が理想とした本来の日本とはかけ離れているのかもしれません。

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