福島のぶゆきアーカイブ

衆議院議員 福島のぶゆきの活動記録です

『維新と興亜』第6号

〇愛読している『維新と興亜』第6号で、連載を楽しみにしている山﨑行太郎先生の「藤田東湖と西郷南洲」。

【藤田東湖の主著の一つである『弘道館記述義』に、こんな文章がある《学問事業、ソノ効を殊ニセズ》】

という文章に始まり、

【《学問と事業を一つにするのが難しいというのは多くの理由によるが、もっとも大きい弊害が四つある。「実践躬行を怠る」こと。「実用的学問をしない」こと。「型どおりの考えに拘泥する」こと。「情勢に応じすぎる」こと。(藤田東湖『弘道館記述義』)》

これは、もちろん、実践が大事で、学問を疎かにしてもいい、というような意味ではない。同じく「実用的学問」が、すぐに役に立つ学問や、その時代の情勢に妥協し、便乗する学問でもないことは言うまでもない。学問を極めるということは、実践も伴うということだろう。学問か実践か、というような二者択一的な、いわゆる二元論的な意味ではない。我々は、しばしば、誤解しがちであるが、実践=行動した人間を、「彼は学問がなかった」「無知だった」と言いたがる。そうではない。学問があったからこそ、実践=行動できたのだと言うことも出来るはずだ。】

 などと論じられている。さらに、水戸学の祖である光圀公が、「学問好き」だったにも関わらず、なぜ「学校」を作ることに反対だったのか、などについて考察がなされている。

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 水戸にいても、水戸の歴史上の出来事や人物の事績を学ぶことはあっても、水戸学の思想をきちんと学べる場は、ほとんどない。水戸の人の多くは、水戸学の「維新の魁」などというキャッチフレーズは知っていても、水戸学そのものの思想を現代の時代から解釈することはほとんどできない。

 山崎先生の連載では、水戸学の書物をテクストとしながら、その思想を現代の地点から解釈をしている。ご興味のある方は、ぜひご一読いただければと思う。今は選挙前で余裕がないが、総選挙が終われば、私もそうした水戸学の思想そのものを原典に立ち返って読み込み、今を生きる立場から学ぶ勉強会を開こうと思っている。安っぽい偽物が跋扈しないように。

 ちなみに、私は色紙にサインを求められると、いつも「知行合一」と書く。藤田東湖が『弘道館記述義』で述べていることと同義だ。陽明学がどうだこうだなどの蘊蓄は、どうでもいい。10代の頃から水戸学をかじった者として、三島由紀夫の影響を大きく受けたものとして、私の人生の座右の銘そのものなのだ。