〇こういう分析をしている限り、選挙では勝てないのではないか。
相手が共産党であれ連合であれ、どこかと組めば一定の得票は増え、一定の層は他に流れる。どこと組んだから〇%の票が他党に流れたというだけでなく、どのくらいの票が来たかの足し引きで考えるのは、小学生でもやれることだろう。この選挙総括では、「共産党との連携を理由に投票先を立憲民主党候補から他候補に変更した割合が投票全体の3%強」とのことだが、たとえば私の選挙区に当てはめれば、投票総数の3%は6,000票くらい。私の選挙区の共産党の比例票は13,000票。足し引きすればプラスだ。立憲民主党の候補の選挙区も、同じようなものだろう。共産党との連携は、立憲民主党の候補者にとって投票数のプラスになっているのは確かだろう。どんな相手であれ、応援してくれる人には感謝し、礼を尽くすのが、政治の基本ではないか。
「一本化の成立によって支持が固まる層は基礎票のベースアップに過ぎず・・・投票率を上げながら無党派を取り込むという形は見えてこない」としているが、共産党と連携したから無党派層が取り込めなかったと思っているなら、それも筋違いだ。基礎票に上乗せできないのは、候補者個人の努力とその政党の魅力が足りないからにすぎない。他党や支援組織は、何ら関係はない。
私は、今回の衆院選挙で、どの政党の推薦も受けず、連合からの推薦もなく、共産党は自主支援という形で候補者を立てないでくれた。その結果、自民党公認・公明党推薦候補と1対1で戦うという構図になった。こうしたことに対して相手陣営からは、連日街頭や街宣車から「水戸から共産党支援の代議士はいらない」などと口汚いネガティブキャンペーンが繰り広げられた。若いころから民族派運動を齧っていた筋金入りの私は、それでも何ら動じることはなかった。権力に寄り添うだけの戦後似非保守に負けるわけにいかない。
その結果、NHKの出口調査では、自民党・公明党支持層の3分の1、無党派層の7割は私に投票してくれたと報道されている。有権者は、一人一人の候補者をきちんと見てくれている。政治家や政党がひそかに思っているほど、国民は愚かではない。候補者の政治理念や政策が本物で明確ならば、「共産党の支援を受けているから」などという理由で投票を忌避する数など、わずかなものなのだ。
立憲民主党の選挙総括では、メディア戦略などを巧妙にすれば浮動層がついてくるというようなトーンでも書かれているが、選挙はそんなに甘いものではない。まさに私が言い続けてきたように、「党より人物」。候補者がすべての人間をさらけ出して、有権者に評価してもらうしかないのだ。政党は、いかにちゃんとした候補者を選ぶかに精力を注げばいいと思うが、このような選挙総括をする政党になかなかいい候補者は集まらないだろう。選挙総括にいう「自力と地力」をもった人物は、今の状況では無所属で出馬するのがベターな選択になってしまっているのだ。(無所属で参議院選に挑戦するか迷っている方、いませんか?)
私は自民党を超える、新しい時代にマッチした政治勢力が必要であるという20年前に立てた志は、今なお全く揺るいでいない。でも、こんな野党第一党では、私が生きている間にそのような政治勢力はできないだろう。ここ数日報道される立憲民主党や、その支援団体の連合の参院選挙に向けたさまざまな動きを見ると、暗澹たる思いにならざるを得ない。選対委員長は、同期で仲のいい大西代議士。もっとしっかりしてほしい。これが最後だと思って、死ぬ気になってやってほしい。