〇一昨日、JR東日本がJR西日本に続いて地方赤字路線の収支を公表し、水郡線の常陸大宮以北や鹿島線が廃線対象になるのではないかと、不安が広がっている。私は、4月20日の国土交通委員会で鉄ちゃんの斉藤国土交通大臣と議論したように、鉄道の特性を生かした国土政策としての鉄道への再投資が必要な時代になったと考える。その検討に当たっては、国鉄分割民営化の根本から見直し、事業の運営体制を根本から考える必要があることも訴えてきた。
この発表を受けて、読売新聞では早速連載の特集を組んでいる。昨日は、「国鉄改革時の警鐘現実に」と見出しを打って、「赤字路線拡大 人口急減は「想定外」」としている。しかし、国鉄分割民営化が行われた昭和60年代には、すでに日本の少子高齢化は指摘されており、「想定外」なわけがない。経営改善のために、地方赤字路線を切り捨てて身軽になりたいとの会社側の思惑がにじみ出る記事となっている。
今日は、「採算性より政治優先」と見出しを打って、「『我田引鉄』膨らむ赤字」としている。確かに国鉄時代には、票田をクネクネと通るように設定された大船渡線や、田中角栄の銅像が立っている上越新幹線の浦佐駅など、政治家が強引に鉄道敷設に影響力を行使した事例はあるだろう。
一方この記事では、「完全民営化し、政治の影響を受けないようになったはずだった。だが今も、JRに対する政治や行政の影響は色濃く残っている」として、日光線の減便による混雑やみどりの窓口の廃止の事例を挙げている。これはまさに、私が5月25日の国土交通委員会で「最近のJR東日本は何だかおかしくないか」というテーマで議論をした時のものだ。かつての「我田引鉄」とは、まったく次元の違うものだ。
経営陣から社員まで国鉄時代を知らない者で占められているJRの経営は、高輪ゲートウェイ駅などの不動産開発やSuicaのようなカード事業には熱心であるが、本業の鉄道事業には地域や客の利益を軽視したおざなりなものになっているように思われる。不動産開発もカード事業も、国鉄から引き継いだ独占的な鉄道事業があってのものであるが、それは独占事業における公益性を満たした上で行うことが大前提だ。独占事業にあぐらをかいた「いいところどり」(クリームスキミング)は許されない。
鉄道は、単にJRの経営問題だけではなく、国土政策や地域政策そのものとして論じられるべきであるから、これこそ政治が行うべきことだ。政治や行政の影響を受けるのは、当然のことなのだ。「政治からの圧力は避けたい。一方で、一度でも味方をしてくれた議員を大事にし続ける。JRの政治に対する距離感には、相反する要素が共存する」と書かれているが、このような認識がJRから出てくることこそが、問題の本質である。営利を追求すべきところと公益性を確保することをどのようにバランスしていくのか、そのためにどのような鉄道の運営体制を作っていくのか、今のJRの存続を前提としない根本からの議論が必要だ。
私は、「政治からの圧力を避ける」などという圧力や風潮に負けることなく、国会で鉄道の議論を続けていく所存だ。