福島のぶゆきアーカイブ

衆議院議員 福島のぶゆきの活動記録です

有志の会、緒方議員の反対討論

〇火の出るような、以下の緒方議員の反対討論をお読みください。予算成立の挨拶に来た岸田首相や林官房長官も、この演説は刺さったと言っていました。

 

***************

 

 この日本は危機を迎えている中、こんなに酷い国会審議は近年ありませんでした。ただ、私は2月12日の週に「年度内成立について握りが成立したのかな」と感じました。3年連続でこの委員会に座っていると、そういう野生の勘が働くのです。私の予感が当たったのかどうかは分かりません。この予算委員会全体が予定調和の茶番でなかったこと、そして、我々予算委員がそのための猿回しの猿でなかったことを心から願います。

 与党は政治とカネの問題でボロボロ、支持率は退陣レベル、国民は岸田政権に間違いなくノーを突き付けています。政治とカネの問題を起こしているにもかかわらず、公明正大とした態度の取れない与党幹部の姿を見て、国民は幻滅しています。打ち出す政策については、ともかく財源のごまかしがあまりに多く、少子化対策も、防衛費もスカスカです。本質的に、岸田総理は中途半端な政策を中途半端な理屈で覆い隠しているようにしか見えません。したがって、中途半端な理屈を背負わされる閣僚はその理屈を理解できないまま国会で立ち往生しています。少子化担当相がその良い例です。

 政治とカネについても、一言申し上げたい。私は昨年の11月22日の本委員会で、先陣を切って政策活動費のテーマを取り上げました。公開性は無い、税金は払わない、その根拠はすべて言い値の自己申告、このような政治家特権が許されないと思ったからです。ここまでの政府答弁は「各政治家の『政治活動に使っている』という言い値を信じている」というのと、「それでも公開しろというなら野党も一緒にやれ」というものです。政党所属の方にはそれでも通用するかもしれませんが、無所属である私にはそんなものは通用しません。

 岸田総理を見ていて感じる事が2つあります。「抽象的思考ばかりだ」という事と「民意を軽んじている」という事です。かつて立花隆氏は田中角栄元総理を表して「抽象思考ゼロの経験主義者」と評しました。岸田総理は真逆です。抽象的思考が多く、具体的な経験に立脚しない話が多いです。その結果として、岸田総理の発言から、日々を力強く生きる一人一人の国民の姿が浮かぶことはありません。定額減税を巡る岸田総理の思考回路を想像するに、カネを下げ渡せば喜ぶだろうという思いが透けて見えます。「カネを渡せば国民は喜んで支持してくれる」、それは岸田総理の頭の中だけに存在する抽象的な国民像でしかありません。

 しかし、それに対峙する主要野党には旧態依然とした体制が見え隠れします。私は「政策活動費は野党にもあったから、まず公開してはどうか」と質疑で示唆しました。政治とカネの改革で大攻勢に出るためには、このハードルを越えなくてはならないと思ったからです。私は助け舟を出したつもりでした。しかし、主要野党幹部は頬っかむりしたままです。高級飲食店での豪遊が表になるのを嫌がる方が居るせいなのか、それ以外の表に出せない使途があるのかは分かりませんが、政治とカネの問題で主要野党の追及が迫力を欠いている事に国民は気付いています。地雷を踏まないように恐る恐るやっているからです。これでは期待感は高まりません。

 国民の怒りのマグマは行き場を失い、どんどんと溜まっているのを感じます。時代と国を異にすれば、ここでクーデターが起こりかねないレベルです。大正デモクラシーから続いた政党政治は5.15事件で終焉を迎え、ドイツのワイマール体制はナチス政権樹立で終わり、フランスの第四共和政はアルジェリア危機に対応できず崩壊しました。いずれも民主政治の機能不全に対応できなかったのが原因でした。今、同じようなマグマが日本社会に溜まっています。勿論、日本では軍事的なクーデターが起きる可能性はありません。しかし、このような中、我々が恐れなくてはならないのはエーリッヒ・フロムが述べた「自由からの逃走」が日本社会に到来する事です。

 今、世界中で民主主義のレジリエンスが問われています。多くの国で「民主主義対専制主義」の戦いが繰り広げられています。民主主義は放置していても、勝手に発展していくわけではありません。私は、人間が希求する自由、平等といった価値観を信じ、それを体現する政治体制として民主主義を信じ、30年前にフランシス・フクヤマが述べた「歴史の終わり」という大きな方向性を信じたいと思います。しかし、そのためには民主主義をアップグレードする取り組みが必要です。

 私は与野党の心ある議員に訴えたい。「日本の民主主義を立て直すために今こそ立ち上がるべき時だ」と。与野党共に、幹部のあり方に強い不満を持っている議員が居ることは日々感じています。「もうそのようなものに付き合う必要は無い」、私はそう訴えたい。かつて、小選挙区制を導入する際、小泉純一郎衆議院議員は、小選挙区制になれば権限が党の幹部に集中され、執行部の意に沿わないことが言えなくなると述べたそうです。今、当にその状態が眼前にあるとは思いませんか、自分は党のサラリーマン化していないか、一人一人の議員が是非、胸に手を当てて考えていただきたい。

 この八方塞がりの状況を打開するのは誰か。他でもない、我々一人一人の議員ではありませんか。この暗闇に一縷の光をもたらしたい。既存の枠組みを超えた政治勢力の決起が今、求められていると思います。我々有志の会はたった4人。しかし、落選を経験し、地を這いながら無所属で勝ち上がってきた4人です。選挙において党からの資金援助も、企業団体献金の可能性も、敗者復活の比例枠もありません。政治的に楽をしたいのであれば絶対にこの道を選ぶことはありません。何故、我々は無所属なのか。それはこの国家を思うからです。艱難辛苦あろうとも、我が身が朽ち果てようとも、この国のために立ち向かう気概を持っています。志のある方、共に立ち上がりましょう。その事を述べて討論といたします。