福島のぶゆきアーカイブ

これまでにWebで公開したものの記録です

2.26

今日の水戸は久しぶりの本格的な雪です。

麻生総理の郵政民営化に関する発言のブレ、そして中川財務大臣のフラフラ会見以降、地域を回っていると、多くの方が自民党への批判を口にされます。そうは言ってもここは自民党王国。これまでの選挙では、どんなにマスコミで政権が批判をされていても、特に農村部を中心に、根強い自民党支持者がいたものですが、今は街中を回っても、農村部を回っても、「これまで自民党に入れていた人は一体どこに行っちゃったんだろう」というような状況です。

だからと言って、民主党への期待がそのまま高まっているわけではないようです。「もう一度中選挙区に戻して人を選ぶ選挙にすべきだ」という声とか「政党というのは党利党略ばかりだからケシからない」という政党政治自体に対する批判、「政治家や政党に期待したって仕方ないから、自分だけ何とか生き延びていこう」という政治に対する諦め、のようなものが蔓延しているような気がいたします。

先日、北一輝の研究など日本の近代化の底流を研究している松本健一・麗澤大学教授を講師とする勉強会に行ってまいりました。先生の本は中学生のころから愛読しておりましたので、初恋の人に会うように楽しみにして行った勉強会なのですが、そこでの議論を一言で言えば、普通選挙制度を導入して曲がりなりにも政党政治を実現していた戦前の日本が、政党政治の混乱の中で国民が政党を見放し、その間隙を縫って軍部や革新官僚たちが台頭してくる、というものでした。

議会制民主主義を取る限りは、国家の意思決定に政党が大きな役割を果たすことは論を俟ちません。議会において合意を取るプロセスには大きなエネルギーが必要となりますが、もし政党という存在が無ければこのプロセスは果てしないものとなるでしょう。その煩雑なプロセスを省こうと思えば、それは絶対君主制、軍政、官僚独裁制しかありません。戦前の日本では、国会における政党政治の混乱が国民の政治不信を生み、結局後者の軍部や官僚たちによる統治を多くの国民が望みました。

同じ道を歩んではいけません。今のように政治が混乱している状況だからこそ、政党がしっかりと理論的な政策を立案し、国民に選択肢を提示し、他の政党と議論をし調整をして政策を実現をしていく機能を果たさなければなりません。民主党は「政権交代」を訴えるのであれば、すでに限界を迎えた自民党とは違う政党像を身をもって示さなければならないのです。これは候補者の選定プロセス、政策の立案プロセス、政策実現のための調整プロセス、政党と行政機関との関係などすべてにおいてです。政党に対する国民の否定の先に待っている危機的な状況を、一人一人の政治家が真剣に考えなければならないでしょう。

そのようなことを、73年前の雪の日に決起した青年将校たちや当時の世相に思いをはせながら考えました。