福島のぶゆきアーカイブ

衆議院議員 福島のぶゆきの活動記録です

小沢代表の辞任

蒸し暑い一日。城里町を自転車で歩いている途中に小沢代表辞任のニュースが飛び込んできました。

私が官僚を辞めて選挙に出ようと思ったのは2003年。民主党と小沢一郎党首率いる自由党が一つになるというニュースがきっかけでした。官僚として仕事をする中で、「自民党」という国の意思決定の仕組みそのものが、日本の将来の限界要因となっているということを強く感じておりましたが、かといってそれまでの野党に政権を担いうるような力があるとは思えませんでした。日本の政府の仕組みを変えなければならない、でも変わりうる政治勢力がいない、という悶々とした思いの中で、権力の使い方を知り尽くした小沢さんが民主党と一緒になる、という大きな政治の流れが、私を政治の世界へと押し流していったのです。

2回衆院選に破れ、その民主党に対する思いも複雑なものがありました。もう候補者になることは辞めようとも思ったときもありました。地元の皆さんの熱い思いに支えられて、三度目のチャレンジをしようと決意したとき、民主党内から私の思いへの理解はほとんど得られませんでした。小沢代表が直接私に会って確かめよう、ということになって、昨年の2月はじめにはじめて小沢代表と直接じっくりとお話をさせていただく機会をいただきました。小沢代表は部屋に入ってくるなり私をジロリと睨みつけ「お前、本気でやる気あるのか」と一喝しました。私はその迫力に負けないよう小沢代表の目をじっと見据えて、いかに自分が政権交代という歴史的な事業に人生を賭けているのか、ということを一気にまくし立てました。「ここで立ち上がらなかったら、一生後悔する。やらせてください」と。小沢代表は私の話をひととおり聞いて途端に柔和な顔になり、「相手にいろいろなことがあったとしても厳しい選挙だぞ。しっかり地域を歩いてきなさい」と私の地元の事情を交えながら、さまざまなアドバイスをしてくださいました。これほど日本の政治家で政権交代に命をかけている人はいないだろう、これほど選挙に人生を賭けている人はいないだろう、お話を聞きながらそう確信をいたしました。

私は小沢一郎という人物を決して好きではありませんでした。むしろ、どうやって乗り越えていくのかが日本の政治にとって必要なことだと考えておりました。でも、お会いして、お話をさせていただいて、「小沢一郎を総理大臣にしたい。一緒に政権交代を成し遂げたい」そう心に決めさせていただきました。それだけに今回の辞任は残念の一言に尽きます。今回の検察の対応には、問題であると指摘したいことはいっぱいあります。でもそうしたことは胸にしまって、小沢代表の辞任を犬死としないためにも必死になって戦っていくしかありません。党内からは小沢代表が辞めさえすれば情勢が好転するという意見がいくつか聞こえてきましたが、私は決してそのようには思えません。現に私の事務所には「一体民主党は大丈夫なのか?」というお叱りの声が多数寄せられてまいりました。正直言って、昨年の秋に選挙態勢を整えてからなかなか選挙にならず、支えていただける支援者の皆さんやスタッフにも迷惑をかけどおしです。でも、ここで折れてしまったら相手の思う壺。国民の選挙を通じて、戦後初めての政権交代を行うというのは、そんなに甘いもんじゃないということなのでしょう。ますますギリギリまで自分を追い込んで頑張ってまいります。