福島のぶゆきアーカイブ

衆議院議員 福島のぶゆきの活動記録です

「立憲民主党の兄貴分」

〇『提案型野党なんてクソくらえ』という品のないタイトルのインタビュー記事を出したのは私だが、さすがにこの論評はちょっと違うと思う。

president.jp

【野党の枠組みのなかでは、もうどうやっても「立憲民主党の兄貴分」にはなれない。八方ふさがりとなった玉木氏は、禁断の「与党化」に手を出すほかはなくなった。ただそれだけのことだろう】

 立憲民主党にシンパシーがある人は、野党第一党の立場が偉いと思ってふんぞり返っているが、一歩外から眺め野党に冷めきった多くの国民の声を聞いていると、「立憲民主党の兄貴分」になろうとなんて思わない。そんなところと関わったり、争ったりする気にはならない。

 筆者は、旧民主党出身の議員たちの『世代による野党観の違い』に着目して、論を展開する。旧民主党出身者のうち、菅直人氏や小沢一郎氏を第一世代とし、枝野幸男氏や野田佳彦氏や前原誠司氏を第二世代。玉木雄一郎氏や私たちは第三世代だ。

【第一、第二世代までは「新しい政権を自らの手でつくる」という、ある種の「創業者マインド」を強く保持していた・・・第一、第二世代にとって、政権とは「自民党に選挙で勝って奪い取るもの」であり、彼らは総じて「非自民」志向だった】

【(第三)世代にはその経歴からも、従来なら自民党から立候補した可能性が高い政治家が多くいた・・・近い将来の政権交代を見越して民主党を選んだ人もいた。そんなわけで第三世代には、政治スタンスも上の世代に比べ保守的な議員が多いのだが、それ以上に上の世代と大きく異なっていたのは、政権を「戦って勝ち取る」感覚の薄さだったように思う・・・野党でありながら、はなから「与党っぽく」振る舞おうとしていたのだ】

 よく地元でも、「本当は自民党から出たかったけど、選挙区が空いていなかったから民主党に来たんでしょ」と言われる。しかし、私も、玉木さんも、有志の会の仲間の北神圭朗さんも、私の先輩の松井孝治元参議院議員も、2000年代初頭に民主党に加わった同志たちは、単なる一官僚ではなく元々政権の中枢を支えていた者たちだ。

 その者たちが、あえて議席を得やすい当時の民主党のへの風の吹きやすい都市型選挙区ではなく、地方の自民党の強い選挙区で挑戦したのは、「自民党に選挙で勝って政治を変えたい」という信念が強かったからだ。その信念がなければ、私自身20年間こんなに辛い思いをしながら、政治活動を続けられない。今生き残っている第三世代の旧民主系議員は、そのような者たちばかりだ。

 私たちは、むしろ新党ブームの最中に戦いやすい選挙区で風に乗って当選回数を重ねてきた第二世代こそ、メディアの反応などばかりを気にして、骨太な政治理念や政策を作るのを怠り、第一世代のオールドサヨク的な人たちの醸し出す雰囲気が、幅広い国民への共感を得るのを妨げてきたと感じている。

 それでも、小沢一郎氏、渡部恒三氏、羽田孜氏、鹿野道彦氏、石井一氏など、自民党の中枢を支えながら旧民主党陣営に移ってきた人たちが元気だったころは、政権を担いうる政党ガバナンスができていたが、社会経験の乏しい元活動家や某塾出身者が幅を利かせるようになって、政権中枢で仕事をしてきた第三世代の多くはそうした人たちに付き合いきれなくなっているのだ。これは、保守とかリベラルとかの政治理念の問題ではない。

【民主党には「自民党政権と対決して選挙で政権を勝ち取ることを目指すベテラン」対「自民党政権と協調してでも政策の実現そのものを目指す中堅・若手」という「野党のあり方」に関する対立軸が、世代対立と重なる形で長く存在していた】

 よって、元々そんな世代対立は存在しない。民主政治は、国民の皆さんに共感をいただき支持していただけるかどうかがすべてだ。2012年以降の旧民主党勢力への国民の皆さんの支持を見れば、第三世代の私たちが何をしなければならないかは明確だ。私たち第三世代以降の政治家たちが、第一世代と第二世代が作った民主党政権の大失敗と国民からの大きな失望を真正面から認め、それを乗り越える自民党政権をも超える新しい政治を作りために行動するのみだ。

 蛇足ながら、だからといって、国民民主党の玉木代表の最近の行動を肯定するものではない。