福島のぶゆきアーカイブ

これまでにWebで公開したものの記録です

先祖の墓参り

 またまたしばらく更新を怠ってしまいました。4月はマニフェスト作りやら各種政策研究会のとりまとめやらで、てんてこ舞いでした。忙しいのはサボる理由になりませんが、ちょっと時間ができたので、また心を入れ替えてブログを更新していきます。

 連休中の時間を利用して、なかなか行けなかった母方のご先祖様のお墓参りに岡山、広島まで行ってきました。選挙というものを戦うと、自分の力を超えた何かを感じることがあります。「なぜ自分がこんなに苦しい戦いをしているのか?」「なぜ自分が政治をやろうとしているのか?」ということを突き詰めていくと、合理的な答えは導かれません。何か見えない力に自分は突き動かされている、そんな思いをすることがよくあります。そんなこんなで、政治に携わるようになってから、無性にご先祖様の墓参りがしたくなるのです。父方の墓は関東近県にありますから、選挙が終わってから一通りお参りさせていただきましたので、今回GWに作った時間を使って母方のご先祖参りに行った次第です。

 母方の出身地は岡山県小田郡矢掛町南山田です。初めて行ったその地は、里山に囲まれた美しい盆地で、ちょうど選挙区の笠間や岩瀬にそっくりの情景でした。道理でうちの母が、そのあたりの土地に馴染むはずです。本家の建物は、白壁と格子のある古いけどどことはなく品のある建物で、その前にあるお宮の鳥居には「小川政太郎」と私の曽祖父の名前が大きく刻まれていました。親戚何人かにわざわざ集まってもらうと、おのずと政治の話になります。私の親戚は父方でも母方でも政治の話は大好きなのです。

 江戸時代中期からの墓銘碑が確認できるお墓にお参りした後、母方の祖父の実家があった広島県福山市新市町常に移動しました。母方の祖父は、武田という家から養子で小川家に入ってきています。祖父の実家は、山間の谷の奥深くにあり、主がいなくなった館は竹やぶに侵食されて朽ちていました。中世に築かれたであろう美しい弧を描く石垣だけが、かつての栄華を物語っていました。分家の人に案内いただいたお墓は向かい側の山の中腹にあり、江戸時代前期からの墓石が並んで建っていました。江戸時代の墓銘はすべて「板垣家」となっています。伝承では、祖父の家は安芸の国を治めていた武田氏の末裔で、江戸時代に身分を隠すために別の姓を名乗っていたとのことです。よって、代々の当主は「信」の字を名前につけていますが、伝承の真偽の程はわかりません。

 どこのお墓も、本家や分家に人たちによってきれいに守られていました。だれに言われるでもなく、代々大切にご先祖様を祭り続けてきたのです。今、夫婦別姓の議論がなされておりますが、仮に夫婦、親子で姓が別になったとしたら、このような文化は一体どうなってしまうのでしょうか。そういえば今日、鳩山一郎元総理のお墓にペンキがかけられてしまいました。第一次鳩山内閣の大村清一防衛庁長官も親戚になるようです。普天間移設の問題で沖縄を訪問した総理の、「学べば学ぶほど、抑止力の大切さがわかった」という言葉を聞いて、正直私は脱力しました。鳩山一郎総理は、このようなお孫さんの決断をどのように考えるでしょうか?お墓にペンキをかけるという罰当たりな行動は、絶対に許せません。でも、この政権を支える私たちはもう一度、「何のために政治をやっているのか」ご先祖様の前で考え直さなければならないのかもしれません。