福島のぶゆきアーカイブ

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安倍政権の三本目の矢

いつものように小難しく理屈っぽいブログを綴ってみました。自らの政治に対する姿勢を正確に伝えるため、ブログにはあえてきちんとした政策論、政治論を書いていこうと思っております。日々の政治の動きへの雑感はフェースブックで書き連ねますので、そちらの方がよろしい方は、ぜひお友達申請をお願い致します。

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 「経済財政運営と改革の基本方針」、「日本再興戦略」及び「規制改革実施計画」が閣議決定され、安倍政権の三本目の矢の成長戦略が明らかになった。「次元の違う政策」「異次元のスピードによる政策実行」などと言う割には、私が役人時代の10年以上前から示されてきた政策の羅列であり、あまり目新しさはない。確かに一本目の矢の金融緩和は白川総裁時代の日銀の金融政策と比べると「次元が違う」ものとして私は評価しているが、一番の注目点だった規制改革はこれまでの自民党政権時代のものと大同小異であり、「次元の違う」というタイトルは誇大広告のたぐいのものであろう。その他にも、「企業や人材を世界で戦える筋肉質な体質に」とか「民間活力の爆発」など体育会系の勇ましい言葉は躍っているものの、論語の「巧言令色鮮し仁」ではないが中身を見れば見るほど本質的な改革に取り組もうとしていないことがバレてしまい、現在のマーケットの低い評価につながっているのだろう。
 民主党政権時からやたら「戦略」という言葉が政府の掲げる政策のタイトルとして出てくるようになったが、そもそも政府が戦争ならいざ知らず、経済政策で「戦略」なるものを作る必要があるのかどうかということから考えなければならない。よく経団連の幹部などから「日本政府には成長戦略がない」という批判を聞くことがある。自らの企業や業界の利益を確保するための個別の規制・制度や外交交渉に対する政府への要望なら理解できるが、「どうやったら日本企業が儲けられるか」という方策を民間が政府に作ることを求めることなど、昭和の時代の護送船団業界の意識そのものであり、そのような意識の企業や業界はグローバルの競争の中では生きて行けまい。そうした意味では、安倍総理臨時国会での成立を目指している「産業競争力強化法」は、政府が主導して民間の過当競争を整理することを内容とするようであるが、このような護送船団行政はまさに昭和時代の産業政策の遺物であり、この制度の対象となる企業は即時国際競争の舞台に立つ資格がないことをマーケットに宣言することになってしまうだろう。国際マーケットに対してお恥ずかしい政策だと言わざるを得ない。
 また、1999年に出された小渕内閣の「日本経済再生への戦略」以降、2001年の森内閣の「e-japan戦略」、2006年小泉内閣の「新経済成長戦略」、2008年福田内閣の「新経済成長戦略改訂版」、2009年麻生内閣の「未来開拓戦略」そして政権が変わった後も2010年菅内閣の「新成長戦略」、2012年野田内閣の「日本再生戦略」と毎年のように○○戦略がそれぞれの政権で出されてきたが、そこで掲げられている成長が見込める分野はIT、バイオ、環境・新エネルギーなどいつもほぼ同じである。今般閣議決定された「日本再興戦略」でも、「戦略市場創造プラン」として相変わらず同じようなターゲティング・ポリシーが展開されている。もう10年以上も同じような分野をターゲットとしながら、一向に日本の産業構造が変わらず、国際競争力のあるまともな成長産業もなかなか生まれないことを真剣に見つめ直すべきであろう。政府に成長戦略を策定することを求めない産業界を作ることこそが「成長戦略」である、とも皮肉りたくなってしまう。
 今の日本に必要なことは、産業の構造を変えるために競争のためのルールを変えたり舞台を作ったりすることである。かつての日本サッカーはノンプロの企業チーム主体のJFL主体であったが、当時はワールドカップに出場することすらできなかった。それをJリーグという地域密着型のプロチームによるリーグへと舞台を変え、競争ルールを整備したことによって、代表チームはワールドカップに連続出場し、中田、香川、本田のようにJリーグで育った選手たちが世界のトップレベルで戦えるようになった。このような競争環境を整えるためのルールの整備や舞台の設定こそが「規制改革」である。これは「規制緩和」とは異なる概念である。安倍総理は医薬品のネット販売の解禁という「規制緩和」を行ったことを、さも抵抗勢力と戦って「改革」を進めたように誇っているが、これはネット業界にとっては利益があっても医薬品の流通業界の転換を及ぼすほどの競争ルールの整備とは言えない。
 メディアや市場は、今回の閣議決定混合診療の解禁や株式会社の農地の所有が実現しなかったことをもって「改革は後退した」と批判するが、このような規制改革項目は私が官僚をやっていた10年前から掲げていたものであり、規制改革の本質ではない。医療分野であれば、株式会社の病院経営が認められるかとか、混合診療が全面解禁されるかということが問題の本質なのではない。医療という独占的地位を持つ医師が提供する生命に関わる公的なサービスと、医薬品や医療機器という国際的なマーケットの中で取り扱われる財物の価格が同じ公的保険制度の中で公定価格として管理されており、その中でどのような価格決定ルールを導入すれば日本の医薬品産業や医療機器産業は国際競争力を持ちうるのか、というのが規制改革の本質である。そうであるとするならば、混合診療の問題は薬価制度の抜本的見直しへとつながれなければならない。株式会社の農地保有の問題も、何世代もかけて作られてきた優良な農地を農地として保全していくのは土地所有者なのか、土地利用者なのか、はたまた公的組織なのか、という農地という財物に関わる特有の問題を解決するルールを整備することが規制改革の本質である。10年前の小泉政権以降、特定の規制を特定の抵抗勢力を見立てて、それが進めば改革というレッテル張りをメディアもマーケットもしがちだが、そのような三面記事的な「改革」ではなく、どのようなルールを整備したらその産業が国際競争力を持つのか、という本質的な規制改革に政権が取り組めるかどうか、ということをしっかりと見つめなければならない。また政権も、日経新聞の記事などに踊りがちなマーケットの評価だけを気にするのではなく、産業構造の転換につながるような本質的な規制改革に腰を据えて取り組む必要がある。
 時代遅れのターゲッティング・ポリシーが続けられるのも、10年以上も同じ項目の名目的な「規制改革」が続けられるのも、それを掲げ続けること自体が自己目的化している特定の官僚集団や御用学者、「ブレーン」なる者がいるからである。総理大臣が誰に代わろうが、政権がどの党に代わろうが、いつも同じようなメンバーが政権を支え、同じようなやり方で経済政策を立案している限りは何も変わらない。霞が関の良質な政策をどのようにして汲み上げていくか、どのような理論を持つ学者や有識者を政権で活用するのか、どのような団体の要望を聞きあるいは聞かないのか、そしてそれらをどのような組織においてとりまとめ実行していくのか、経済政策の政策立案プロセスそのものを変えない限りは、本質的な経済政策を立案・実行はできないであろう。本当はこのような政策立案プロセスの抜本的転換が「政治主導」の意味だったはずだが、民主党政権の失敗でそれがどこかに飛んで行ってしまった。私自身は、本質的な経済政策を立案・実行が出来る政治の実現に向けて、初志を貫いていくのみである。

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