福島のぶゆきアーカイブ

衆議院議員 福島のぶゆきの活動記録です

安倍首相 辞任の意向固める

〇昨日筑西市内を街宣活動の途中に入った昼食のお店で、この緊急速報に接した。昨日も残暑厳しい一日で、午前中は家の外に出てくる人はほとんどいなかったが、このニュースの後は次から次へ「いよいよだ。頑張れ!」と声を掛けに飛び出てくる人が現れて、特別な雰囲気だった。

 持病を抱えながら、孤独な最高権力者の座を7年8ヶ月務めてきたことに、まず心から「お疲れさまでした」と申し上げたい。

 2014年の衆院選で国会に復帰した私が見た国会の風景は、アベノミクス全盛の中で、大量に生まれた2012年初当選組の熱狂の渦にある本会議場の異様な雰囲気だった。しかし、その熱狂的な雰囲気が変わった一番のきっかけは、私が2017年2月17日に森友学園問題の質問した時に「私や妻が関係していたということになれば、総理も国会議員も辞める」と答弁してからだっただろう。

 その後、内閣支持率は下がり続け、都議選では自民党が大敗したが、乾坤一擲で打った10月の解散総選挙で安倍政権は大勝。私は、落選。モリカケ問題を払拭するための大勝負であったろうから、私の選挙区には安倍総理以下の閣僚から人気者の小泉進次郎議員、原田創価学会会長までが連日来た。

 それでも、私は安倍首相には個人的に憎んだり、恨んだりする感情は一切ない。安倍首相と私は、小泉政権が誕生して私が内閣官房に出向し、安倍首相が官房副長官になってからの付き合いで、いろいろな絡みがあった。その後、私が民主党から出馬して落選すると、民主党の先輩議員は電話に出てくれなくなってり冷たくなる人がいる中で、わざわざ「残念だったね。何か相談があったら乗るから、頑張ってね」と電話をしてくれたりした。

 私が1期目の時は、野党転落の戦犯として失意の底にあった安倍さんを囲む勉強会を定期的にやっていて、アベノミクスの原型となる政策を研究したりしていた。森友問題で、私の質問に対してあのような答弁をしてしまったのは、このような人間関係があってのものだったのだろう。

 第二次安倍政権では、公文書の改ざんのようなあってはならない問題を引き起こしたり、モリカケ問題のような権力の腐臭を漂わす出来事が多かったが、人間としては欲のない、人に配慮ができる優しい方だと思う。一部に出来た「極右」の安倍首相の像は虚像で、実際には何不自由ない戦後育ち特有のノンポリに近い立ち位置だっただろう。周りが創り上げる自らの像と期待の中で、そのギャップをプレッシャーに感じていたのかもしれない。

 いずれにしても、これからは療養に専念して、昭恵夫人と一緒にゆっくりとした日々を過ごしていただきたい。