福島のぶゆきアーカイブ

これまでにWebで公開したものの記録です

梶山静六代議士 自民党総裁選立会演説(1998年)

〇今日開会した通常国会の施政方針演説で、菅総理は自ら師とする梶山静六先生の「国民の食いぶちをつくっていくのがお前の仕事だ」という言葉を引用して演説した。でも、あまりにも軽い一般的な言葉で、本当に梶山先生の思いを理解して演説しているのか、残念ながら私にはまったく響かなかった。

 梶山先生が自民党総裁選挙に立候補する前後、私の上司が梶山通産大臣秘書官だったご縁で、先生の原稿や論文を書くのをお手伝いをしていた。同郷ということで、大変可愛がっていただいた。ある時、「いつも手伝ってくれているお礼にメシでも食いに行こう」と誘っていただいた。

 盃を傾けながら、先生は私の目の前で「むかしオヤジ(田中角栄)に、県会議員上りにはこの国の総理大臣は務まらないと言われた。自分も、そう思う。でも、今の日本の状況や危機感のない自民党を見ていると、黙ってはいられない。本来は自分のような者が出る場ではないが、自民党総裁選に出ざるを得ないんだ」と涙をハラハラ流しながら語ってくれた。その熱い思いに打たれて、私も滂沱の涙を流していた。

 同じ頃、菅総理は一年生議員として、別の立場から梶山先生の総裁選の挑戦を見ていたはずだ。本当に梶山先生を師と仰ぐのであれば、もう一度梶山先生のこの演説を読み返して、少しでもその遺志を引き継いでコロナ禍に当たってほしいものだ。心の底から、国を想う気持ち、国民を想う気持ち、歴史を背負う覚悟があるのであれば、あのような施政方針演説にはならないはずだ。

 ぜひ、特に16分30秒くらいからの、魂の演説を聞いてほしい。

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 私は今回、実行した中では、お二人方と比べますと年齢は、正味七十二歳になっております。かつて戦争中、命をかけても悔いがないという思いで軍籍に身を投じ、敗戦を満州で迎えた人間であります。どんなことがあってもあの戦争だけは避けなければならない、これが私の根幹にあります。

  そして、戦後、兄貴と一緒に小さい零細企業やりながら生きてまいりました。しかし商売をやりながらも、あるいはその後、昭和三十年に県議会議員に出ながらも、私たちの社会は、国家は、今年よりは来年、来年よりは五年後、一〇年後…。間違いなく活力があふれて、豊かで幸せな国になれるということを確信してやってまいりました。

 しかしここ数年、果たしてこれで良かったのかという反省が起こってまいりました。 そして今、目の前を追う真っ黒な雲、雷雲にも似た国民の悲鳴と怒りの実情を見るときに、私の人生は正しかったのか、私の政治活動はこれでよかったのか。今、自問自答いたしております。私は五〇年を経ますといろんな、変遷がある。しかし、あまりにも坦々たる道を歩んで、その先にある崩落に気がつかなかった。

  私が今、やらなければならないと考えているのは、私個人からいっても、この戦後五〇年の歩みを否定したくない。今ここで誤りがあったと見えても、それは、一時のことであり、この難局を乗り越えれば解決できる。そうして、次の世代に私たちが夢みた社会を残したい。この一念があるからであります。

 平常であれば、私ごときものがこの時期に立候補するということは大変不自然なことかもしれません。しかし、私は、経済回復の初動である金融の安定化に、自らの命をかける思いでやることが、私に課せられた最後のご奉公と考えております。

  先輩・同志の皆さん、お互いに素朴な感情を抱きながら今日まで生きてきた人間であります。私が申していることは、いわば私の政治的な遺言であります。これから命をかけて行なってまいりますが、あるいは途中で倒れるかもしれない。その時には、この私の屍を乗り越えて、皆様方に日本の将来を築き上げてほしい。そう思う一念で、今、同士の決起に応えたわけであります。

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