〇元は共同通信配信の重要な記事。日本国政府とファイザー社の間のお粗末な交渉過程を明らかにしている。
【米製薬大手ファイザーとの交渉には霞が関の常識は通用せず、日本が顧客にもかかわらず「首相を出して」と求めてくるなど、忖度(そんたく)のない国際社会の論理に翻弄された】
そもそも霞ヶ関の常識で交渉しようとしているのだとしたら、間違えている。河野大臣が「私がファイザーと話をする」と出しゃばったら、当然向こうは「飛んで火に入る夏の虫」とばかりに「総理を出せ」となるだろう。もうその後はない訳だから、日本には切るカードはなくなってしまう。
私はかつて経済産業省のバイオ課にいた時、ファイザー社のマッキンネル会長が来日するたびにサシで食事ながら話していた。当時私は、日本の薬価制度の抜本的制度改革を主張していて、「君は日本の官僚らしくないから」と、多くの官僚を知る知日派の会長は面白がってくれたのだ。話題は、日本の製薬業界のことから医療界の風習、官僚の生態まで多岐にわたった。
ある時、会長は「いちいち官僚が薬の価格にまで口を出してくる日本は、資本主義の国とは認められない。まだ中国のマーケットの方が合理的で魅力的だ」と激しく語ってきた。私には、いつもかなり本音で日本の官僚制度の欠点や、日本の製薬会社の国際的な位置づけについて話してくれた。「日本は、利益を上げられる分だけ薬が売れればいいマーケットで、ビジネスパートナーにはなりえない」というようなトーンだった。その後ファイザーは日本の研究開発拠点を閉鎖し、マッキンネル会長は日本政府から叙勲を受けた。
ファイザー社は優秀な日本人スタッフも多く、おそらく霞ヶ関の行動原理や日本の政治家の能力も知悉している。そして経営陣は、日本の製薬産業をグローバルマーケットでの競争相手として歯牙にもかけていないだろう。もう交渉に立つ段階から、足元を見られて負けているのだ。「主導権が取れない状況に政府関係者は『これが今のファイザーと日本の力関係』と話す」とあるが、かつての経済大国が一製薬会社との交渉ができない国ににまで落ちぶれていることに、私たちは危機感を持つべきである。
問題は交渉に立った厚労省の官僚や河野大臣だけにあるわけではない。未だに国産ワクチンの開発の目途もつけられないほど弱体化してしまった日本の研究開発環境や競争力のない製薬メーカー、それに対応するための有効な政策を打ち出せない霞ヶ関の劣化にあるのだ。まともな人材を政治や霞ヶ関の場に集約しなければ、間もなくこの国は本当に途上国に転落してしまうだろう。時間はあまり残されていない。