〇全国空襲連の院内集会が開かれ、一言ご挨拶を申し上げました。
2期目の時、全国の空襲で被害を受けた方へ補償措置としての給付金を支給する議員立法に、実務者チームの一員として携わってまいりました。2017年に落選した時、全国空襲連の方から、それまでの私の仕事への感謝と励ましのメッセージをいただきました。法案は出来上がって、すべての野党はこれに賛成していますから、私が落選中の4年間にこの法案は成立しているかと思っていたのですが、未だ成立しておりません。被害者の方は、毎年どんどん亡くなっていっています。お励ましに応えるためにも、この国会での成立に向けて、私にできる限りのことをやってまりいます。
福島家は東京の下町両国にあって、昭和20年3月10日の東京大空襲で周辺は焼け野原になりました。神楽坂にあった曽祖父が住んでした屋敷も焼けてしまいました。祖父母に会うたびに、焼け野原になった東京の話を聞いて育ちました。地元の水戸も、私が育った日立も、空襲や艦砲射撃で大きな被害を受けています。もう昔のこととするのではなく、「戦後はまだ終わっていない」という思いで、取り組んでまいります。