福島のぶゆきアーカイブ

衆議院議員 福島のぶゆきの活動記録です

77年前に東京大空襲があった日

〇今日は77年前に東京大空襲があった日。だからではないでしょうが、衆議院の本会議場では緊急時のヘルメットを被る訓練が行われました。

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 今テレビをつけると、連日ウクライナの悲惨な状況が飛び込んできますが、77年前の東京大空襲はまさに一般民衆の大量虐殺というべき凄惨な状況だったことを、東京の両国に住んでいた祖父母から聞いております。そうした全国の空襲で亡くなった方ばかりでなく、一生の傷を負って苦労して暮らしてこられた方が大勢います。

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 私は、かねてよりそうした方々への国家的な補償を目指す超党派の議員連盟で、立法措置の実務を担当してきました。本日行われた「空襲議連」の総会で副会長を拝命しました。もう法律案は出来上がっております。自民党を除く他の政党は、法律の成立に賛意を示しております。自民党の一部に、根強く反対する議員がいるようですが、北村誠吾会長、平沢勝栄・田中和徳会長代行、柿沢未途事務局長のご指導の下、成立に向けて汗をかいていきたいと思います。

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 大阪からいらした、6歳の時に空襲で片足を失った安野さんの国会議員への手紙をぜひ読んでいただきたいと思います。

【この国が起こした戦争で、謝罪も償いもなく、哀れな台無しの人生でしたが、国としても、情けない恥ずかしい国だと思いました。元軍人軍属には立派な謝罪と償いをしているのは、当然ですが、同じ戦争の空襲犠牲者には国との雇用関係がなかったなどと、焼夷弾や爆弾で殺された人、親を焼かれた孤児、心身に傷を負った障害者は、みな放置されたままです。

 幼い頃の目に焼き付いた、黒煙に消された山のような空襲犠牲者のことを思うと、今でも、悲しくて悔しくて涙が溢れます。きちんと戦争の後始末をしてください。少なくとも空襲犠牲者が、生きている間に救済法を一日も早く制定してください・・・足を奪われた時、6歳になったばかりの幼稚園の年長児だったのが、この夏83歳になります。6歳で戦争に巻き込まれ、83歳の今日まで戦争を忘れて生きる日は1日もありませんでした。この国に生まれてよかったと、一瞬でも、生きている間に思わせてください。私たちには、もう、時間がありません】

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