〇たった5人しかいない我が会派有志の会の仁木さんが、今日自民党に行った。もう1年以上前から自民党入りを窺っていることは知っていたし、先月の合宿で本人からの意思も聞いて4人で慰留していただけに、残念だ。私とは2003年の民主党初出馬同期。18年間非自民での苦しい活動を積み重ねて、ようやく2年前に初めて小選挙区で当選したので、楽な選挙をやりたいという思いもあったのだろう。
【仁木氏は徳島市内で記者会見し「与党でなければできないことがある。苦渋の決断だった」と語った】
仁木さんはこう語っているが、私にはまったくこの思いはない。2003年7月、経済産業省に私が辞表を出した時、同省の最高幹部は私にこう言った。「福島君、今の小泉内閣は君の思う通りに動いているじゃないか。自民党が政権を持っている限り、僕たちが国を動かしているんだよ。なんでわざわざ人に頭下げて、人生を犠牲にして政治家になんてなるんだ」。
私は、「そんな国だから、この国はダメになろうとしているんじゃないですか。私は政治家になることが目的で役所を辞めるんじゃない。戦後の日本政治を変えなければ何も変わらないというやむに已まれぬ思いで選挙に出るんです」と答えて、辞表を出した。
私は「与党でなくてはできないこと」は、自民党政権である限り、選挙なんか出ないでも官僚でもできると確信している。与党じゃないと仕事ができないという議員は、与党に行っても仕事はできない。なぜなら、与党を動かしているのは官僚組織であり、そこを動かすのに与党も野党もないからだ。
与党の議員になればできる程度のことをやるためなら、このような塗炭の苦しみを味わいながら政治の世界に挑戦していない。自民党政権の与党では出来ないことをやらなければ、この国は転落するというやむに已まれぬ思いが、私の政治活動のエネルギー源だ。他の3人の同志たちも同じ思いだと、信じたい。
次の選挙まで長くても2年。もう53年も生きた者として、自分の幸せとか人生とかを考えることなく、ただひたすら政治の変革に向けて行動してまいりたい。