2003年の7月、経済産業省に辞表を提出した私はその足でスーパーひたちに乗って故郷水戸の駅に降り立ち、不動産屋に立ち寄り水戸での居を探した。その日に紹介されたのが故中山志郎さん。我が家の隣に住む大家さんとして、事務所のオーナーとして、地元千波地区の顔役として、それ以来ずっと言い尽くせないほどのお世話になってきた。2回の落選の間もずっとお支えをいただき、民主党茨城一区総支部顧問、私の水戸の後援会・福水会顧問としてもご指導をいただいてきた。亡くなる前日まで、元気にいつもと同じように事務所にいらしていただき、私のスタッフにお気遣いをいただいていたのに、突然の訃報。未だに信じられない思いだ。
政治家である以上、さまざまな別れに立ち会わなければならない。まだ政治家として一人前になる前に、お世話になった恩人と別れなければならないことは辛い。私自身大きな政治家になって、人生を賭けてこの国を立て直すことでしか恩返しはできない。今はただ心からご冥福を祈るのみ。
合掌-----