福島のぶゆきアーカイブ

衆議院議員 福島のぶゆきの活動記録です

TPP交渉

理屈っぽい長文で失礼いたします。今回のTPP交渉の顛末を受けた雑感をとりまとめましたので、ご興味のある方はぜひお読みいただけますと幸いです。

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 TPP交渉の「大筋合意」に向けて押し迫った米国アトランタの交渉会場では、日本の交渉団は切羽詰まった状況というよりは、拍子抜けするほどのんびりした時間が流れていた。医薬品の知的財産ルールをめぐって米国と豪州が、乳製品のアクセスをめぐってNZとカナダが、など二国間での最後の熾烈な交渉が行われている中、日本はもう要求するタマも、切るべきカードもなく、ただひたすら「もうそろそろ妥結しましょう」という議事進行係、悪く言えばかつてのバブル時代の「与党総会屋」のような役割を果たしていたのである。ある国の交渉関係者は、私たちに「この期に及んで何も求めないで、ひたすら他国に妥協を促す日本は、いったい何のためにTPP交渉に参加しているのでしょうか」と皮肉ともつかない疑問をぶつけてきた。

 今回政府から発表になった市場アクセスの結果を見てみると、昨年4月のオバマ大統領来日の時に新聞各紙の1面を飾ったリーク記事の内容とほぼ同じであるから、とりわけ反対の大きかった農業分野はJAなどの反対運動を横目にもう1年以上前に譲歩して大筋は出来上がっていたのであろう。その後の日本の交渉は、いつ妥結が実現するのかということを決めるために、自らのカードを切って論点を減らして全体の妥結を促していく役割に徹したのであった。
 日本のメディアは「大筋合意」の翌日から、戦前の大本営発表よろしく日本がさも大きなことを獲得したような大見出しが躍っているが、具体的にそれらの見出しにふさわしい何を獲得したのかを明確に説明できる人はいまい。安倍総理は記者会見で「10%近い眼鏡のフレームの関税がゼロになる」「日本茶にかかる20%もの関税がゼロになる」「30%を超える陶磁器への関税がゼロになる」と胸を張ったが、数少ない「攻めて」いたはずのたった2.5%の米国の自動車関税を25年もかけて撤廃する結果になった以上、このようなニッチな分野しか具体的なメリットが挙げられないのだろう。鯖江のメガネにしても、有田焼にしても、宇治茶にしても、他国では嗜好品であって、消費者が日常的に価格で選ぶ商品ではないであろうから、このようなものの関税がなくなったとしても輸出に大きな影響はあるまい。

 一方、失ったものは明確である。米国からのコメをこれまでのミニマムアクセスとは別枠で7万トン、ミニマムアクセスの枠内で米国産中粒種を6万トン、合わせて13万トンをコメの国内需要が毎年減り続ける中で、「自由貿易」ではなく「国家貿易」として輸入することとなった。これを市場から隔離するために全量政府が買い取るということであるので、自由貿易を標榜するTPPのために毎年数十億から百億円規模の税金を投入するという極めて歪な政策をとることとなった。豚肉は差額関税制度を維持したと言うが、日本のテーブルミートと最も競合する高価格帯の従価税は10年目以降撤廃されてしまうので、養豚業にとっては事実上の関税撤廃と言ってよい。これらは明らかに国会決議違反である。
 ちょっと物のわかったつもりの経済官庁の役人や日経新聞を愛読する浅薄な経営者などは農業が遅れた産業だと蔑んでいるから、これを機会に日本の農業の「構造改善」が進めばいいなどと考えているのであろうが、筋違いの話である。今回のコメの対応にみられるように、政府が財政措置を通じて何らかの「構造改革」を促そうとしてもうまくいったためしがないのは、かつてのウルグアイ・ラウンド対策の時に経験しているはずである。ちょっとの関税と直接支払いのコントロールで他国と競争条件を均衡させ、あとは市場に任せるEU型の農政の方が合理的なことは、さまざまな事例で示されている。それとも、経済界は進んだ産業だから「アジア太平洋の成長を取り込む」というような抽象的なスローガンさえあればそれを実にして利益を上げられ、農業は遅れた産業だから具体的な外国からの圧力をかけなければ成長できない、とでもいうのだろうか。

 私は、1期目の民主党政権から一貫して日本政府が進めるTPP交渉に反対してきた。それは、農産物を守れとか、そもそも自由貿易に反対というものではない。2011年10月18日のブログでは「私は、自ら政治を志した理由の一つが、農政改革を行って農業と自由貿易を両立させることであるので、日本の利益になるような自由貿易は強力に推進していきたいと思っている」としながら、「今回のTPP交渉参加のスタンスはあまりにも戦略性がなさすぎる・・・戦略的な自由貿易交渉は大切だ。しかし、それは何を日本が獲得すべきなのか目標をはっきりと定め、それに至るための複数のカードを手元に持ちながら、したたかに交渉してこそ実現するものだ」としてきた。
 TPPに加入しさえすれば、アジア太平洋の成長が取り込めるという抽象的な夢物語ではなく、「TPP交渉を通じて具体的にこれを獲得するぞ」という戦略目標がなければ、そもそも交渉に参加する意味はないのだ。TPP推進のプロパガンダ役を果たした伊藤元重東京大学教授は「TPPは漢方薬のようなもの」と言って具体的なメリットを求めるべきではないと主張していた。当初よりTPPに懐疑的で私と似た見解を持っていた野口悠紀雄氏は「TPPの経済効果はほとんどないと言っていい」と大筋合意後にも言い切っている。TPPとは、あくまで国と国との利益獲得交渉であるから、具体的な何かを求めない国に利益が転がりこんでくることはないのだ。

 私は、2013年2月26日のブログでこうも書いている。「お勉強のできる優秀な官僚たち・・・。受験戦争の勝者の集団は、結局のところ「交渉」という目先のお仕事を真面目にやること自体が目的となっていまい、「この国のために何を獲得するのか」という意志はあいまいになりがちだ」。だからといって、このようなみじめな交渉になっている責任は、官僚たちにあるのではない。官僚たちの役割は、与えられたミッションを着実にこなすことであって、「何を獲得するのか」という目標を打ち立てるのはそもそも政治の役割である。そして、その政治を動かすのは、産業界でなければならない。2010年に菅総理がTPP交渉への参加検討を発表したとき、経団連の幹部たちはTPPとは何かを知らなかった。TPP交渉を通じて自らの利益のために具体的に「どこの国の何を取ってこい」と政府に強硬に要求をした業界はあったであろうか。政府が「成長戦略の一環だ」というから、それを信じてついてきているだけなのではないか。
 アトランタではNZの巨大酪農協同組合のフォンテラの会長や米国製薬メーカーのロビーストなどが政府の交渉団を監視し、最後の最後まで相手国に要求し続けさせるように圧力をかけていた。一方、日本からアトランタに行ったのは、守る側の農業関係団体がほとんどである。日本が自由貿易の利益を享受し、アジア太平洋の成長を取り込むためには、TPP交渉に参加することが必要条件なのではない。まず産業界が自らの経営戦略としてターゲットとする国の制度を変えさせる意志を持ち、政治がそれを受け止めて戦略を打ち立て、官僚たちの尻を叩いて交渉をさせるという政官業の関係ができなければ、そもそも交渉に参加しても交渉にならないのではないか。守りたいものも守れないのではないか。

 アベノミクスの「三本の矢」が放たれ、つい先日は「新三本の矢」なる政策のようなものが発表された。民主党内でも「成長戦略を作れ」という掛け声がかけられている。しかし、政策を立案しそれを実行していくプロセスそのものを変えない限り、いつまでも同じような政策の焼き直しで終わってしまうことだろう。日本以外の国のメディアは、自国の政府の交渉団がどのようなものをとってきて、どのようなものが譲られ、それをどう評価すべきなのかということを冷静に評価し、時には困難ともなる今後の政治プロセスについて報道している。日本だけがお祭り騒ぎの中でTPP対策本部なるものを立ち上げ、おそらくは財政措置ばかりを行って大した効果のない政策を羅列することになろうし、産業界にとってもTPPという漢方薬を飲み続けても大した体質改善効果は表れないだろう。
 交渉が大筋合意し「TPP祭り」となっている今こそ、他国が大筋合意後どのような国内での対応を取るのかを冷静に見極め、浮足立つことなく地道な政策を積み重ねていくしかない。そして、何よりもこの国が長期にわたって停滞している本質的な問題、すなわち国際競争のためにうまく自国政府を使う戦略を立てられない経済界、大きな戦略目標のない中でタコつぼを掘り続けている官僚たち、そしてすべてにおいて劣化した政党政治という問題を如何に乗り越えていくのかを、私たちの世代の政治家が考えなければならない。

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