帰ってきたヒトラー
参院選後のひと時、TOHOシネマズひたちなかに『帰ってきたヒトラー』という恐ろしいコメディ映画を見に行った。
ヒトラーが現代にタイムスリップして甦ったという奇想天外な設定で、ヒトラーはテレビやインターネットなどの現代のメディアを使って、たった一人でドイツを支配しようと動き始める。周囲のドイツ人たちは、まさか本物のヒトラーが甦るはずはないからそっくり芸人のコメディーだと思っている。
しかし、テレビ番組にそっくり芸人として出て演説を始めると、ドイツの移民問題、格差、子供の貧困、環境破壊などを指摘しながら、「このままのドイツでよいのか」「だから必要なのだ。変革と責任をとる指導者が」とヒトラーの演説そのもので訴えると、政治家の私ですらもつい胸が熱くなって「そうだ」と強く肯きたくなってしまう。テレビの政治討論番組で、キャスターがヒトラーの危険性を指摘すると、「私は民衆を扇動したのではない。民衆が明確な計画を提示した私を選んだのだ。私が行ったのは、民衆の望む世界の実現だ!」と明言する。似たような政治を、最近見たような。
そしてこの映画が面白いのは、ヒトラーそっくりに扮したこの俳優を実際のドイツの各地に出没させて、民衆の反応をドキュメンタリーで映していることだ。何人かは、中指を立てたりして拒否反応を示したが、多くの国民がハグをしたり、「流入し続ける外国人を何とかしてくれ」と真剣に訴えたり、ものすごいシンパシーを表明したのだ。ドイツ代表のサッカーの試合後にサポーターたちの輪に入って、「ドイツは偉大だ。お前たちはドイツのために死ねるかっ!」とヒトラーそのものの演説をした時には、ミュンヘン蜂起でも起きかねないような雰囲気になった。
一方、今のドイツの排外的なネオナチ集団や極右政党に乗り込んで行った時、「お前たちはドイツを偉大にするために、口ばかりで一体何をやったんだ。私の本の一体何を読んでいるのか。お前たちは国家社会主義労働者党を引き継いでいるとは言えない」などとものすごい剣幕でまくしたてると、威勢のよかったネオナチ集団は途端に目が虚ろになってシュンとしてしまうのも、日本のネット右翼や「国を愛する」などといってただ集団でたむろして虚勢を張っているだけの日本の自称保守勢力を見ているようで、むずがゆくなってくる。
この映画を見ていると、本物の扇動者が現れたら、自分も含めて人間は簡単に心を捕らわれてしまう存在であることを、ぞっとするほど知らされる。そして、民主制というのは、そのような気持ちの悪い危険性を内包しているものだということに、改めて気づかされる。政治を進めるのは人間の理性や理屈だけではない。人間の奥底にある得体のしれない何かと、そこから湧き起こるエネルギーが政治を動かしたときに、私たちが想像しえない社会が現実のものとなるのだ。この映画を見て数日、蒸し暑さも手伝って夜の眠りが浅い日が続いている。
-----