福島のぶゆきアーカイブ

衆議院議員 福島のぶゆきの活動記録です

2003年、政治家モドキは出馬を決意した

【永田町と霞が関では、コロナ終息と時を同じくして安倍政権は終焉を迎えることは既定路線として捉えられており、経産省はその道連れとなることが確実視されている。持続化給付金や『GO TOキャンペーン』に関する経産省のあきれた対応と発言は、同省の断末魔の叫びなのかもしれない】

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 官僚と政治の距離感というのは、難しい。橋本政権での行政改革によって官邸機能の強化が進む一方、政治家や政党の政策能力や行政手腕が依然乏しい中で、官邸や内閣府周りにいる政治家をいかに取り込んでいくかが、霞ヶ関の官僚たちの焦点となった。官邸機能の強化は結局、政治主導の強化ではなく、官僚主導の官邸運営の強化となったのである。

 こうした結果官邸に近い官僚たちは、みずからが政治的な権力を得たと勘違いするようになった。言うまでもなく政治権力は、選挙を通じて民衆から正当性を与えられるものである。政治家は本能として常に民衆の目や声を気にかけながら行動するが、「政治家モドキ」の官僚は与えられた権力の行使ばかりに関心が行く。その結果が、アベノマスクを象徴とする今の安倍政権の末期症状だ。

 私は、2002年から2003年にかけて小泉政権の内閣官房で構造改革特区の仕事をやっていたが、各種業界の反対を押し切って規制改革を実行していくためには、鴻池担当大臣の懐刀として今ここでは書けないような際どい政治的な動きをしなくてはならなかった。

 大臣の政治家としての部下である根本匠副大臣は業界団体へ政府内の機密情報を流すことに徹し(大臣は「鼠小僧」とあだ名していた)、政治基盤の弱い木村隆秀政務官(後に落選して引退)は支援団体にビビッて何もできなかった。そうした政治家に代わって、私はまさに「政治家モドキ」の仕事をせざるを得なかったのだ。

 ある時、出元の経済産業省の官房長(人事責任者)から呼ばれ、「君と鴻池大臣に対してある団体から告発状が東京地検に出されている」と告げられた。鴻池大臣と私の行動が、誰か特定の人の利益誘導のために行われているという趣旨であったが、当然まったく事実無根のことであった。

 官房長からは「出向先の内閣官房から戻すから、3年間アメリカに留学してきなさい」と言われた。これまでいくら留学の希望を出しても、当面の法改正の仕事などを与えられて行かせてもらえなかったのが、通常より1年長い特別待遇だった。「ありがとうございます。今から英語の勉強頑張ります」と答えたら、「来週から渡米してきなさい。ついては、こちらに連絡して」とサウス・カロライナ州にある大学の先生の連絡先を渡された。

 私は、「自分は何も悪いことをしていない。逃げるように海外に行かされるいわれはない。それなら役所を辞めて政治に出ます」と言って、数日後に辞表を提出して出馬を決意したのだった。官僚の身ながら、直接的な民意を受ける機会もないままに、政治的な調整や舞台回しをする資格がないことを自覚したからである。

 一方、私が見てきた自民党の政治家たちの多くは、自らの政治家としての身を守るため(敵を作って票を減らさないため)、そうした本来政治家がすべき政治的な調整や舞台回しから逃げて、それらを官僚に任せてそれを盾にしてきた。この構造こそが、この国が平成の時代に何も動くことができなかった根本の問題だ。私は、そうした無責任で卑怯な政治を乗り越えようと思って志を立てたのだが、まだその少しも果たしていない。

 アベノマスや持続化給付金などをめぐって、多くの私の仲の良い経済産業省の元同僚たちの名前がメディアの上を踊っている。彼らは「政治家モドキ」として国を動かしている充実感を感じているのかもしれないが、民意に基づく正当性のない権力の行使はいずれ必ず破綻をする。政治の世界に自らが足を踏み入れるつもりがないのであれば、官僚の側から政治との距離感、政治家と官僚のありうべき役割分担をもう一度再整理しなければ、一生懸命やっているつもりでも、政治の犠牲となる官僚が生まれることであろう。

 そして、政治の側も、政治家が担うべき役割を自ら認識して果たしているのか、厳しく見つめなおさなければならい。今回のコロナ禍は、単なる特定の官邸官僚叩きに留まるのではなく、日本の権力構造のあり方そのものを問い直す機会にしなければならないのだ。