〇今日の読売新聞は、読み応えがある。いつから、こんなにクオリティーが高い新聞になったのか。
チェコ出身の文化人類学者郷堀ヨゼフ淑徳大学教授の記事。
【日本独特の死生観に気づいたのは15年ほど前・・・仏壇や遺影が「あの世」である異界との日常的な接点になり、死者や先祖に見守られているという思想には、仏教だけでなく土着の祖先信仰が影響していると思います】
【農村で調査する中で「稲作をすれば地域のことがわかる」と言われ、約7アールの田んぼを借りて東京出身の妻や上越生まれの息子たちとコメ作りをしています・・・地元の人と話していると「先人」という言葉がよく出てきます。山あいの用水路は明治期に苦労して掘られたもので、昔の人に感謝しつつ、その意志が今の生活に生きていると気づきます。小正月などの行事や祭にも、顔も名前も分からなくなった死者の思いが息づき、それが生者同士を結ぶよりどころとなるのです】
【日常から死者を排除し、生命の枠組みを自分の誕生から死まで限定すると「自分さえ、今さえよければいい」という考えに傾きがちです。受け継いだバトンを未来につなぎ、いかに生きるかを考えれば、私たち自身の物語は終わらずに続いていくのです】
これこそ、本来の保守の思想。ほとんどが誤読されてる三島由紀夫が、作品を通じて語っていることである。私の政治理念の根本にも、このことが流れているつもりだ。
そして、また弟自慢で恐縮だが、イスラエルに駐在する弟のコラム。パレスチナ出身の高名な文学者、サイードの話。
【今こそ、イスラエルや国際社会はサイードの本を読み返し、思想をかみしめる時ではないか。ガザの戦闘を指揮し、西岸で入植を進めるベンヤミン・ネタニヤフ首相の公邸はサイードの生家の数百メートル先にある】
本読み小僧だった私と比べて、子供の頃の弟はあまり本を読む子ではなかった。でも、今はそれなりの教養を感じる文章を書けるようになった。「学校の勉強なんてしなくていいから、本を読みなさい」と言い続けていた、亡母の教育に感謝したい。
政治家にとって必要なことは、人生と共に積み重ねてきた教養に基づく哲学と理念だと思う。まったく至らない私だが、こうして形成された私なりの政治哲学をこのたびの総選挙で晒して、「党より人物」での皆さま方の判断を仰いでまいりたい。
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そして、弟のこの記事。何を伝えたいたいのかは、明確だ。