福島のぶゆきアーカイブ

衆議院議員 福島のぶゆきの活動記録です

藤井裕久先生のお別れ会

〇大雨の中、相模原市で開かれた藤井裕久先生のお別れ会に参列してまいりました。藤井先生の愛弟子で私と同期当選の盟友本村賢太郎相模原市長から、心のこもった挨拶がありました。

 藤井先生が最初に衆院選に挑戦したのは、中選挙区時代の神奈川3区。当時私が住んでいた藤沢市も、その選挙区でした。1990年の衆院選の時、藤沢駅で当時落選中だった藤井先生の演説会があり、飛ぶ鳥を落とす勢いだった橋本龍太郎大蔵大臣が応援演説に来るというので、選挙権を得る前でしたが私は母と聞きに行きました。

 藤井先生の演説は、官僚の政策説明そのものの硬く退屈なものでした。橋本大臣が乗った東海道線が事故で15分くらい到着が遅れ、その時間を演説で繋がなければならないのですが言葉は続かず、最後は「間もなく橋本大臣が来ます!」というフレーズを連呼するだけになっていました。

 一緒に聞いていた母は「やっぱり官僚出身の政治家はダメよね」と言って、同じ選挙区で出ていた甘利明さんの後援会に入ってしまいました。それでも、藤井先生はその選挙で最下位で辛うじて衆議院初当選。今日はその甘利明先生が、国葬ではありませんが、弔辞を読まれていました。

 葬儀で配られた先生の最後の著作『公に尽くす』では、政治改革に尽くした政治人生と消費税と歩んだ人生、そして何よりも「平和こそすべての礎」という政治信念が書かれていました。戦争を知る世代は、もうすでに政治の世界にはほとんどいません。細川内閣、鳩山内閣と二度の政権交代とその失敗を経験した政治家も、一人また一人と鬼籍に入っています。

 藤井先生は、私が官僚を辞めて初めて選挙に出た時、当時の旧協和町の小さな公民館で開いた演説会に、夜真っ暗な中応援にいらしていただきました。まだまだ政治家になりきれていない私を前に、藤井先生は官僚を辞めて自民党を選ばず政治に出る者の思いを、温かく語ってくださいました。常に歴史の中に身を置いて政治家としてのふるまいを考えていらっしゃった藤井先生の遺志を引き継ぎ、政治改革の道を邁進してまいります。藤井先生のご冥福をお祈りいたします。