福島のぶゆきアーカイブ

衆議院議員 福島のぶゆきの活動記録です

宝島社の大広告を見て思うこと

〇読売新聞での見開きでの宝島社の大広告。インパクト大きかったですね。

【ワクチンもない。クスリもない。タケヤリで戦えというのか。このままじゃ、政治に殺される。】

 この1年余り、学校の休校騒ぎに始まって、アベノマスク、使い物にならないCocoa、出したり引っ込めたりしながら一向に収まらない緊急事態宣言、電話がつながらないワクチン争奪戦、意味不明の禁酒要請、通勤者が減っていないのに電車を間引いて起こった超満員電車など、国や自治体が行う数々の不始末を見て、一体何をやっているんだとイライラしている方も多くいらっしゃるでしょう。もしかしたらもう日本は先進国じゃなくなっているんじゃないかと薄々思い始めている方もいるでしょう。地域を歩いていると、そのような声を多くお聞きします。私も、在野の立場にいて、「一体日本政府はどうなっちゃっているんだ」と情けなく、怒る気持ちも忘れるほど呆れてしまっています。

 しかし、このようになったのは、安倍政権や菅政権に特徴的なことなのではありません。戦後ずっと日本が経済大国、先進科学技術国だと思いながら、国民が見過ごしてきた日本の統治機構の弱点が、すべてこのチグハグなコロナ対策に現れているのです。最近のことではなく、日本の宿痾なのです。

 大して高い専門性を持たない日本の官僚機構、科学的知見を重視せず対処療法的で国民への見せかけばかりにこだわる政府の意思決定、そしてなによりも絶望的なほどに知性が欠如した政治。私が、1995年に霞ヶ関で官僚として働いてから、この目で見てきたものばかりです。

 誰がこれを変えられるのか?それは、政治家でも、東大を出た官僚でも、お雇い外国人でもありません。それは、政治を選べる国民の皆さんだけなのです。「政治家なんて誰でも同じ」「自分の1票では何も変わらない」「とりあえず自民党でいいや」そうやって、「きっと自分の知らない誰か偉い人がちゃんとやってくれるだろう」というお任せ民主政治を続けてきた結果できたのが、この日本の統治機構なのです。

 「投票に行きたくても、入れたい人がいない」。それも確かかもしれません。ちょうどこの広告がでる前日のあの弛緩した予算委員会での議論と、野党第一党の内閣不信任案を出す気概のなさを見れば。与党も野党もこの国にはなくて同じ穴のムジナだと思ってしまうのも仕方ありません。今の日本の政治の状況は、政治に携わる者として。本当に申し訳なく、忸怩たる思いです。

 でも、少なくともダメな政権には、ダメという判断を国民が示さなければ、政治家が目を覚ますことはありません。黙っていてはいけません。私は、日本の統治機構のお粗末さをこの目で見てきたからこそ、自ら政治の世界に飛び込みました。皆さんにも、「不満があるなら選挙に出よう」と言いたいところですが、家族を犠牲にし、自らの生活も人生もメチャクチャにするような選択は、普通の国民の皆さんにはなかなかできないでしょう。

 だったら、皆さんの目で見て、耳で聞いて、頭で考えて、ちょっとでもマシな政治家を選ぶという選択を選挙ごとにし続ける、そのことを一人でも多くの国民の皆さんがすることで、はじめて日本の民主政治はまともな道を歩み始め、すこしずつ日本の統治機構は国民の求めるものに応え得るものになっていくのです。

 台湾やニュージーランドといったアジア太平洋の民主政治が成熟した国ほどコロナ対策に成功しているのは、偶然ではありません。国民が厳しい目で政治家を選ぶ国ほど、まともなリーダーが生まれ、リーダーたちは最善の判断をしようと必死になるのです。

 残念ながら、日本の与野党のリーダーたちは、次の選挙に向けて国民にどう見せるかばかりを考えているように思うのです。それが、この広告に書いてある「私たちは騙されている」という言葉です。でも私は、皆さんが騙されているとは思いません。騙されないようにしていないだけ、あるいは「騙されてもいいや」と思っているだけだと思うのです。

 私は、政治家として、皆さんの思いに真摯に向き合いたいと思います。私は、このまま日本がアジアの二流国へと転落していき、自分たちの子供や孫の代に貧しくなった国を渡したくはありません。これまで先人たちが積み重ねてきたこの国の誇りを守りたいとも思います。皆さんも同じ思いではないでしょうか。

 そうであれば、まもなくやってくる衆議院選挙。今度の選挙こそ政治に真正面から向き合ってみませんか。今年の総選挙が、日本にとっての大きな岐路になるでしょう。