福島のぶゆきアーカイブ

衆議院議員 福島のぶゆきの活動記録です

親鸞聖人誕生850年・立教開宗800年慶讚法要

〇この週末のG7広島サミットはさまざまな評価はありますが、岸田政権の実績云々を別にしても日本の戦後政治史、外交史に残るものとなることでしょう。これについては、後日私なりの考えを皆さんにお伝えします。

 そんな中今日は上洛し、(西)本願寺での親鸞聖人誕生850年・立教開宗800年慶讚法要に門徒として参列してまいりました。親鸞聖人は800年前に今の笠間市稲田の草庵で『教行信証』を著され、この時が浄土真宗の開宗とされています。残念ながら、私の地元ではあまりこのことは知られていません。そもそも、親鸞聖人は中臣鎌足の末裔。聖人が晩年稲田から京へ戻る時、鎌足所縁の鹿島神宮に立ち寄っています。

 私は、選挙に出て負け続けた日々、なんでこんなに苦しい日々を過ごしているのか自問自答していました。私は茨城県で生まれ育ちましたが、300年間江戸で商売していた福島家と茨城は元々あまり縁のないものと思っていました。政治の世界に入って自分の家系図を眺めていた時、男系の先祖が常陸国の門毛(今の桜川市)の出であることを知りました。この地は、越後から親鸞聖人の跡を追って移住してきた人が多く住む地です。

 元禄2年に江戸で開業をする前の福島家は、酒造などをなしていた伊勢商人。本来の氏の名は五十嵐でした。五十嵐は、親鸞聖人が流刑された越後の氏。伊勢は高田本山専修寺のある地。想像するに、戦国時代に敗北した先祖は親鸞聖人を慕い、真宗と共に移動したのではないかと思います。その専修寺も、元々は筑西市のすぐ北にある親鸞聖人所縁のお寺。うちの菩提寺のご住職は佐竹氏。おそらく、これも常陸国とのご縁。江戸末期の先祖は、親鸞聖人が荼毘に付された京都の大谷本廟にもお墓を作りましたので、今日はそこにもお参りしてまいりました。このように、私がこの茨城1区で政治に携わっているのも、すべては仏縁なのです。

 京都国立博物館では、親鸞展が開かれていました。そこには、ご近所の水戸市酒門の善重寺が所蔵する聖徳太子立像や親鸞聖人の妻の恵信尼像が展示されていました。善重寺を開いた善念は、桜川で親鸞聖人に出会った直弟子。なんと博物館で「福島先生、水戸から来ました」と声を掛けられました。善重寺の門徒とのこと。これも仏縁です。

 慶讚法要の意義として、

「およそ八百年前、親鸞聖人は、自己の在り方を深く省みて、私たち人間は自己中心的な思い、煩悩からいかにしても抜け出ることのできない存在であると気づかれました。しかし、そういう煩悩に突き動かされる私たち誰にも、誰ひとり取り残すことなく尊い安心を与えようとはたらきかけ続けている阿弥陀仏の願いに出遭われたのでした。そのことを身を以って私たちの生き方として示してくださったのが親鸞聖人です。その親鸞聖人の説き示してくださった浄土真宗の教えに出遭うことがなければ、今の私はあり得なかったという聖人への感謝と、その教えに出遭えた喜びを込めて、聖人のご生誕を祝い、「立教開宗」に感謝する慶讚法要をお勤めするのです」

とありました。まさに「世のなか安穏なれ」です。

 親鸞聖人の血を引くご門主から示された新しい「領解文」では、

 南無阿弥陀仏
 「われにまかせよ そのまま救う」の 弥陀のよび声
 私の煩悩と仏のさとりは 本来一つゆえ
 「そのまま救う」が 弥陀のよび声
 ありがとう といただいて
 この愚身(み)をまかす このままで
 救い取られる 自然の浄土
 仏恩報謝の お念仏

としています。私も、いずれ政治に携わりながら、得度を目指します。