福島のぶゆきアーカイブ

これまでにWebで公開したものの記録です

東日本大震災から1年

 東日本大震災からちょうど1年が経ちました。昨年の今頃は電気も水道もない、寒い、暗い夜中でした。余震に怯えながら、家族3人身を寄せ合って車の中で暖房をつけて、やたらにきれいな星空を眺めていたことを思い出します。今日の同じ時間の水戸は、昨年よりも暖かく、春到来を告げる雷の中、通り雨が降りました。このたびの大震災で無念の死を遂げた方々やその遺族の皆様に衷心より哀悼の意を表するとともに、今なお避難所や原発事故の被害に苦しんでいらっしゃる多くの方々にお見舞いを申し上げます。

 大震災の当日から、事務所のスタッフ総出で選挙区内の役所や避難所、医療機関などを回り、状況や要望の把握に向けて走り回りました。大震災の3日後には、バスや電車を乗り継いで大回りをしながら、被災地の議員としては真っ先に上京し、被災地の状況をつぶさに伝え、とにかく食料、水、ガソリン、灯油などを迅速に計画的に回さなければパニックが広がるということを必死に訴えたことを記憶しています。それからは、必要物資の配送の手配、緊急の復旧工事の要請など、一段落してからは北茨城やいわき方面へのボランティアへの協力と、今日が何曜日かわからないくらい目まぐるしく動き回りました。国会が再開後は、特に原子力災害対策のワーキングチームの事務局長として、風評被害対策に取り組みました。3次補正予算や2012年度予算編成に当たっては、茨城県が被災地と認識されない中で「茨城を忘れないで」というタイトルの要望書を持って、知事をはじめとする茨城県関係者とともに、関係部署を何度も回ってまいりました。今日振り返ってみると、あまりにも多くのことがあって、この1年はずいぶん長い時間を過ごしたような思いになります。

 まだまだ津波の被害を受けた地域や原子力災害が直撃した地域は、大きな困難を抱えた状況にありますが、おかげさまで地元茨城は復興に向けて前を向いたた歩みを進められる状況になってきたのではないでしょうか。9日の金曜日にも水戸市の駅前から上市の商店街が、商業集積区域としての復興特区に認定され、新規に開業したり雇用を生んだりする事業者の皆さんに、これまでにない税制上の優遇措置が講じられることになります。東北の被災地も含めて商業集積での特区認定の事例がないため、一時は財務省などから認定に消極的な指摘がなされていましたが、水戸で雇用を生む産業は商業・サービス業が中心であることや津波とは異なる地震の被害の状況を、私自身も何度も役所とやりとりをして訴え、何とか認定をいただくことができました。震災前から空洞化が進んでいた中心市街地が、この特区認定を契機に、新たなにぎわいの地区として再生されることを期待しております。

 私も今日を一区切りとして、大震災だけでなく、さまざまな困難に直面している祖国の再生に向けて、できることはなんでも取り組んでまいる所存です。何にもまして、今のような政治の状況が、復興の足手纏いになってしまっていることをしっかりと受け止め、議席をいただいている身として、政治の刷新に向けて、もがいてみようと思っております。

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