連休明けからは、私も役員に名を連ねている党の経済連携PTで日本の経済連携戦略が精力的に議論されることになります。これまで私は何度も同PTの役員会において、TPPに参加するか否かの二者択一の議論ばかりをしている間に、国際的な情勢は大きく変化しており、「アジア諸国との戦略的な経済連携を進める」という本質的な議論をしていないのは問題ではないか、TPP一辺倒の議論の間に失っているものが多いのではないか、という問題提起をさせていただき、それに応えて行われるものです。
政府が主張するTPP参加の根拠は、
1.米国を含むアジア太平洋の成長を取り込む。
2.TPPがアジア太平洋地域の貿易・投資の基本ルールになっていく可能性があるので、それに積極的に参画する。
というもので、このように書くといかにももっともらしく聞こえます。日本の貿易の相手国の比率は、1990年には米国が27.4%、一方の中国がわずか3.5%だったのに対して、2012年には米国が11.8%まで下落し、中国が20.5%に上昇するなど完全に逆転しております。日本にとって貿易の過半がアジアに対するものとなっているのですから、アジアとの経済連携の強化は確かに必要です。
しかし、国際政治の実態というものはそんなに甘いものではありません。アジアの成長は中国や韓国も取り込みたいわけであり、いかなる枠組みを使ってアジアの成長を取り込むかで各国がしのぎを削っているのです。とりわけ日本が戦略的に取り込まなければならないのは中国です。領土問題等を巡ってはこの国とは緊張関係がありますが、一方ではしっかりと稼がせてもらわなければならない相手国です。直してもらわなければならない不透明で非合理的なルールも一杯あります。TPPに加盟するよりも日中FTAの方が経済効果は大きいという試算もあります。
こうしたことは、実はTPPの議論が始まった2年前にもさまざまな関係者と論議をさせていただきました。推進論者の論拠は、「日本だけだと中国やアジア諸国と対峙できないのでアメリカとともに中国を封じ込めたい」とか「今アジアで動いている枠組みはTPPだけだからそれに乗っかりたい」というものでした。「他の貿易交渉が止まっている中で、私たちの仕事がなくなってしまうのでまずはTPP交渉に参加させて下さい」と情けないことを叫ぶ官僚もいました。ましてやTPP推進の応援団である経済界や大マスコミは「バスに乗り遅れるな」とか「アジア太平洋の成長を取り込め」という抽象的なスローガンばかりで、いったいTPP交渉を通じて具体的にどのような成果を得たいのかについて、ほとんど答えられない状況でした。
私はそれらの議論を聞いて、TPPに対して慎重な立場に立とうと確信をしました。アジアの国である日本が果たしてなぜアメリカと一緒じゃなければアジアの国と交渉できないのか、そもそもなぜアジアの貿易・投資交渉の土俵を日本自身が設定することができないのか、あまりにも受動的で、非戦略的なやり方に危惧を覚えたからです。例えてみれば、村のルールを決める会合に、他所から弁護士を連れてくるような態度の村人に、他の村人はどのような感情を抱くのか、ということです。その後の情報収集を通じて、TPPというものは、すべての品目をいずれ関税をゼロにすることを前提として交渉のテーブルに載せなければならない極めて交渉しづらい特殊な貿易ルールであり、自動車や保険などで事前に米国から無理難題を突きつけられるなど入場料も払わなければならないものであることが明らかになってきました。こうしたデメリットに対して、依然なぜTPPが必要なのかという(抽象的スローガンではない)具体的な根拠というのはほとんど提示されていません。
今回、日中韓FTA交渉の準備をしていたにもかかわらず、日本を外した形で中韓FTA交渉が始まるという報道を受けて、私の危惧はまさに当たりそうだと暗澹たる気持ちになりました。TPPを背負っている日本はなるべく外しておこうというのが中国と韓国の共通点かもしれません。中国や韓国が近いうちにTPP交渉に参加する可能性は低いでしょう。仮に参加するとしても、自らが中心となるASEAN等のアジアとの枠組みを作った上で、TPPの根幹を変更させるような米国とのタフな交渉をするつもりでしょう。政府がライバル視している積極的な韓国に対して、あまりにも日本の姿勢は人のふんどしで相撲をとるような受動的なものすぎます。
霞ヶ関の官僚たちはみなさん優秀でよくはたらきますが、受験戦争に勝ちあがってきた秀才というものは、与えられた問題は器用に解くけれど、自ら問題を設定するのは苦手であるという傾向があります。かつて私の中・高・大学の先輩でもある立花隆は「東大生は湯呑みである」と例え話をしました。つまりそのものではただの器という形状でしかないものであり、お湯を注がれなければ役割を果たさない、という意味です。私は、優秀な官僚のそうした特質を悪いと否定するつもりはありません。誰かが器に注ぐお湯の役割を果たせばいいのです。そのお湯の役割を果たすのが政治家なのではないでしょうか。民主党政権、自民党政権を問わず、今までその役割を果たすべき政治家が外交の基本的方針、戦略を示してこなかったことが、TPP交渉参加問題に見られる受動的で、戦略性なき外交につながり、今まさにその実害を我が国は受けようとしているのです。
日本がアジアの二等国に転落しないためにも、相当な覚悟を持って真剣な議論を経済連携PTで行っていかなければなりません。マスコミはまたぞろ「小沢グループの抵抗」とか「農水族の抵抗」などと政局問題に矮小化して報道するでしょうが、今こそ政治の本質が問われています。私自身も、日々真剣勝負の議論を行い、それなりの成果をまとめるために尽力して参ります。
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