〇この1週間台湾のことばかりでスミマセン。この記事は、日台間で忘れられていることを少しばかり指摘している。日本人は台湾を一方的に親日と思い込みそれに甘えているが、台湾人の思いや抱える歴史はそんな単純なものではない。
【中華民国史観に立てば、1945年8月15日は「抗日戦争勝利の日」であり、台湾が“祖国”に復帰する「光復」の始まりとされる・・・一方、台湾史観では8月15日は「日本統治からの解放」であると同時に、「中国国民党(国民党)による再植民地化の始まり」とも位置づけられる。】
【李登輝は自らの発信の中で日本国内の左右のイデオロギー問題をひとまず脇におき、日本の台湾統治を肯定的に“評価”した。このことは、日本国内の台湾独立派と日本の保守右派勢力の結託を強固にした】
私は、李登輝先生がアメリカ人たちに対して英語で講演するのを一度聞いたことがある。自分の価値観がキリスト教から形成されたことを説明しながら、「日本人には自分というものがない。国家としても自立する意志がない。特に戦後の日本はそうだ。自分は今の日本人とは違う」と結構辛辣なことを発言していた。李登輝先生はあくまで台湾人としてのアイデンティティを求め続けた方であり、その先生から見てたまたま日本に生まれ日本語を話すというだけで愛国や保守ぶる日本人は、頼りなく見えていたことだろう。
私が30代になったころ、李登輝先生が主宰するシンクタンク群策会と日本との合同シンポジウムがあった。行きの機中で、胸に日の丸のバッジを輝かせた自称「保守」のおじさんが、盛んに「中国と台湾は違う。台湾は親日だから」と口角泡を飛ばしながら話していた。ところがそのシンポジウムで台湾側から盛んに主張されたのは「日本の戦争責任」。そのおじさんは予想と違う台湾側の主張に目を白黒させ、机から降りて床に土下座して「私は台湾人の心がわかりませんでした」と土下座した。
私は、「戦争責任とはいったい何なのか」「それを台湾が追及することによる台湾側の意味は何か」などいろいろと議論を畳みかけた。その様子をニコニコと聞いていた李登輝先生は、「戦後の日本人はダメになってしまったけど、次の若い世代からしっかりした人が現れることが日本の歴史の持つすごいところですよ」とおっしゃった。
【多くの台湾人が日本に好意的な感情を持っているのは確かだ。しかし、今後の日台関係を「親日」という言葉だけに頼って語るのはあまりに単純だろう。日本の右派が自らの歴史観の肯定のため、あるいは「反中」の文脈で台湾との友好をと考えることは多い。一方で、左派が台湾を知ろうとする努力もないまま、自ら堅持してきた「護憲」「反戦」の価値観をそのまま台湾に当てはめて、台湾の「自己決定権」や中国の軍事的威嚇に対抗するための防衛努力を「好戦的」と批判するのも、現実の台湾を正しく映さない】
先日台湾を訪問した時、日本側の参加者が「うちの地元にもTSMCの工場を作ってください」などと陳情合戦をしているので、隣に座っている台湾の外交官に「本当は台湾は単純な親日ではないですもんね」と言ったら、「福島先生、よくご存じで。日本が衰退していく中で、これからどう付き合っていくのか考えなければならないのです」と言っていた。茨城台湾総会の時も、私が台湾独立運動の人たちとの付き合いから台湾との関係が始まったことを挨拶で話して、その後李逸洋大使と二人で話をした。かつての独立運動の闘士の李大使から「福島先生は、本当の台湾の友人ですね」とおっしゃってくださった。
日台友好が、特定の政党派閥や一部の言論誌のグループなどの自称「保守」の人たちなどによって牛耳られることは、よいことではない。私たちは、日本のイデオロギー的観点からの関係において台湾と付き合うのではなく、台湾そのものと向き合わなければならない。本物の日台友好を深め、日台関係を強化するためには、単なる親日だけではない台湾の複雑な思いを私たちは理解しようとしなければならない。