〇米国とイスラエルのイランへの攻撃、ハメネイ師等の殺害は、第二次世界大戦後の世界秩序の終わりを告げるものとなるだろう。2022年のロシアによるウクライナ侵略は、明らかに国連憲章に違反するものであったが、今回の米国によるイランへの攻撃も国際法的にみれば同様である。
国連憲章の第1条の国際連合の目的には、「平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること」とある。ここで鍵となるのは、「集団的措置」という言葉だ。ロシアのによるウクライナの侵略も、アメリカによるイランへの攻撃も、それぞれの武力行使の正当化を訴える理由はあるのであろうが、第二次世界大戦後の世界秩序の中ではそれが正当化されるのは、国連の安全保障理事会による決定などに基づく「集団的措置」として行われる場合のみだ。
その集団的措置を先導すべき常任理事国のアメリカやロシアが、自ら率先して国連憲章に違反する行動を起こすということは、第二次世界大戦の先勝国を中心とする国際連合の下での世界の秩序が終わったということを意味するだろう。そして、東西冷戦で対立した両大国が国連憲章を否定する行動をするということは、我が国にとってイデオロギーや同盟関係を頼りにして大国に依存することが無効になったことも意味するだろう。
私は、国連憲章に残る旧敵国条項に象徴される第二次世界大戦後の世界秩序のすべてを認めるものではない。一方、今の日本にとって、国連体制下における集団的安全保障より、「力による安全保障」がいいとは言えないだろう。「力による安全保障」がまかりとおれば、極東の小国日本は国境を接するアメリカ、ロシア、中国の軍事・経済強国に翻弄されることになるからだ。
我が国は今、ポスト国際連合の世界秩序でどう生きるかを問われている。高市首相は、今日の予算委員会で
【米国の先制攻撃に関しては「自衛のための措置かどうかも含め詳細な情報を持ち合わせていない。法的評価は差し控える」と述べるにとどめた】
と報じられている。日本が現実に直面する問題は、高市首相の訪米をどうするか、ホルムズ海峡が閉鎖された時のエネルギーをどうするのかということかもしれない。そうした現実を前に、日本の首相の立場として何も言えないのかもしれない。でも、私には、1939年に独ソ不可侵条約締結を受けて、当時の平沼騏一郎首相が辞職に当たって話した「欧州事情は複雑怪奇」を思い起こさせられる。
国際秩序の大変革の時に当たって、大衆の熱気の下で圧倒的な議席を得た高市首相は、この国をどのような方向に導こうとしているのか、自らの歴史観と理念を語るべきだ。今開かれている国会では、そのような首相の答弁を引き出すべきだ。このまま、首相がイランへの攻撃を巡って「評価は差し控える」という答弁を続けている限り、日本はこれから始まる世界の荒波に翻弄され、混乱し、没落の道を歩むことになるだろう。今、我が国は歴史の岐路に立っていることを、政治家は自覚しなければならない。